ボジョレーの思い出 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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スイス・ジュネーブからパリに向かってTGVに乗って1駅約20分。
国境の町、ベルガルドに着く。

フランスの東端にあるこの町は、人口わずか1万人程度。日本ならさしずめ村レベルである。

周りはジュラ山脈とアルプスの襞に覆われ、地元では“すり鉢の底”と形容されるところだ。

町の外れには、レマン湖に源を発した青緑色のローヌ川が流れ、少し離れた高台には、お城のような家も見える。

観光客などはまずいない。

わずかに、一軒のレストランを除いては。






ベルガルド駅から、TGVの線路沿いの道を下ること3分。
城をかたどったピンクの建物が見えてくる。


ミシュランの三ツ星レストラン、“ベル・エポック”だ。


室内に飾られた、各国の王族、首脳、宇宙飛行士など著名人の写真が、片田舎には相応しくない店であることを物語っている。



仕事の関係で、しばらくそこに滞在していた私に、懐かしい客が訪れた。

初めてフランスに出張した時、長らくお世話になっていたホテルの、オーナー夫妻である。

彼らの住んでいるオヨナという町は、ベルガルドからジュラ山脈の裾沿いに、およそ100キロメートルほど入った、盆地の中にある。


私と喧嘩仲間の工場長あたりが、私が近くに来たことを、マダムに耳打ちでもしたのだろう。

まったく、おせっかいというか、憎いオッサンだ。
彼は仏英辞書を、私は英仏辞書を片手に喧嘩ばかりしているが、お互い人種の壁を越えて話ができる、当時の私の親父くらいの年回りのオッサンだった。



おそらく、マダムに尻を突かれ、旦那がいやいやながらも、笑顔でドライバー役を引き受けたのだろう。

マダムの眼と旦那の目に、それが現れていた。


彼らの奢りで、私は久々に腹一杯食べた。


ベル・エポックに付いている部屋は、一つ星と、フランスの安い宿の割には、バスタブもあり快適なのだが、とにかくレストランは三ツ星だ。

途中から、なんやら会社が飯込みの宿泊契約にしてしまったらしく、“会社の契約料金では、ジャガイモを出すのも大サーヴィス”。
常時腹を空かせていたからである。
(後に私は独断でホテルを替えてしまった)






帰りぎわ、マダムからエメラルドグリーンの瓶を手渡された。

白いカラーの絵が描かれている。

どうも、手作りの瓶のようだ。




“中身を空にした後も、瓶は取って置いてね”
ってなことを言われた。




その瓶は、確かに割と最近まで見た記憶がある。



が、今はどこかに消え失せてしまったようだ。





まだ、日本でボジョレー・ヌーボーがほとんど知られていなかった頃、私はボジョレー・ヌーボーをはじめ、フランス紀行みたいなレポートを、ある役員に出していた。


私の奮闘記を、役員で回し読みしていたとも聞いている。



遠い、遠い、ボジョレーとブルーチーズ産地の記憶だ。