藤原の某の子で、平安時代世界初の長編小説を書いたと学校で教えられているのは誰ですか?
はい、そうですね、通称紫式部と言われている、おそらくは女性ですね。
学校でも、最後の宇治十帖と呼ばれる部分に関しては、紫式部ではないかも知れないと教えられていませんか?
コンピュータ解析により、紫式部以外の著者であることが確実と主張する学者もいるようです。
さて、受験生の皆さんには、こんなことどうでもいい。それが何か?でしょうから、文法から見た不思議を考えていただきましょうかね。
ところで、この源氏物語の冒頭はとみに有名で、暗記していらっしゃる方も多いでしょう。
皆さんも言えますか?
いづれの御時にか、女御、更衣、あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。
いかがでしたか?
ヤンボーもマーボーも、ちゃんとおしっこいけたかな?
あっ、失礼いたしました。闇でやっています、バイト先の保育園言葉が出てしまいました。
なんせ、この商売も最近厳しいもんで。
ありゃ、また余計なことを言ってしまいました。
さて、このわずか数十字から、大変面白い内容が見つかるのですが、これらは多くの研究者、ブロガーさんが指摘していますから省略します。
さあ、本論に入りましょう。
この冒頭文の最後
すぐれて時めきたまふありけり
さあ、皆さんは何と現代語訳しますか?
★すぐれて
はい、これはほぼ現代語に近いですね。“たいそう”とか“非常に”という訳でいいでしょう。
★時めきたまふ
時めくは、現代語とはかなり違いますね。現代語だと“ドキドキする”とか“胸がはずむ”という意味ですが、当時は“寵愛を受ける”という意味でした。
あっ、ちょっとお待ちください。
ふむ、
うーん、
ふむ、ふむ。
なるほど。
失礼しました。
ただいま、時めくの説明で“寵愛を受ける”としましたが、全然現代語訳になっていないとのご指摘が多数寄せられましたので、改めてご説明します。
時めくとは、“愛される”という意味です。
ただ、ここではただ愛されるというのではなく、帝に愛されることを意味しまして、これは家族どころか、親戚一同の生活が安泰になるという意味です。
★ありけり
もちろん、嫉妬した女たちが、蟻を蹴って憂さ晴らししたのではありません。
“ありました”の意味ですね。
さて、この“ありけり”これが、今日の最大のポイントです。
いいですか。
この女の方は、極めて高い階級ではないのだが、帝に愛されるほどなのです。
ですから“時めきたまふ”と謙譲語を使っています。
ところが、多くの参考書ではこの部分を、
たいへん帝の寵愛を受け、いや、愛された人があった
と訳しています。
これはおかしいですね。
もし、そうならば
すぐれて時めきたまふあり侍りけり
となるはずです。
時めきたまふ“人”ならば、“ありけり”はあまりに当時の社会を無視した表現です。
つまり、“ありけり”とは人ではないと思われましょう。
では何か?
時代とか、時と訳すのが、妥当と思われるのです。
すぐれて時めきたまふありけりは、
たいへん帝に愛された人がいた
ではなくて、
たいへん帝愛された人がいた時代があった
とすべきでしょう。