
私はその他 派
通称“魏志倭人伝”と呼ばれている三國志・魏志の巻三十 東夷伝の中の倭人の条には、景初二年(西暦238年)に、当時の中国・魏の明帝から銅鏡百枚を与えたとする記述がある。
この銅鏡が見つかれば、東大と京大を核とした、邪馬台国論争にも終止符が打たれるかも知れない。
が、私はそんなことはどうでもよい。
私が興味あるのは、この百枚に及ぶ銅鏡の使い道である。
鏡だから、同然顔を映すのに使っていたというのは、いささか現代的な考えだ。
当時の鏡とは、今で言うなら宇宙ロケット並みの、最先端技術を駆使した貴重品である。 だから、今でも神社の御神体は鏡であることが多いのでだ。
しかし、日本人は昔から、たとえどんな貴重品であろうと、なんでも上手い使い方をすることも心得ている。
例えば、日本に仏教という新しい神が来た時も、それを利用して民衆をまとめたり、“天災や病気を抑えさせたり”することに利用している。
現在では、キリスト教の祭りを利用して、商売を成功させたりさえもしている。
このように、日本人は畏れ多くも神仏さえ自国流に加工し、上手く使いこなしているのだ。
だから、百枚もの銅鏡という最先端技術を利用しないわけがない。
というのが私の推論である。
では、それを何に利用したのであろうか。
考えられる第二か第三の候補として、私は電報技術を挙げたい。
鏡を使っての、つまり、太陽の光を遠方にいる者へ反射させ、なんらかの情報を伝えたのである。
これは今でも、船舶などで使われているであろう、光の点滅を利用したモールス信号のようなものだ。
戦争、あるいはなんらかの変事を、最新技術で伝えたと考えている。
つまり、今から1800年くらい昔から、日本には電報システムがあった可能性があるのである。
参考文献
岩波文庫
魏志倭人伝・後漢書倭伝・宗書倭国伝・隋書倭国伝
石原道博編訳
