久米宏の現地通訳として、Nステに出た方もいるようだ。
白い衣装の料理人2人以外は、皆日本に留学経験がある。料理長が緊張していたから、上海ではかなりの人物(の子息?)らしい。

昼のまどろみ。

この中に、今はひねくれ爺となってしまった、かつての誰かがいる。

今はどうか知らないが、市民が公式に市外観光に出るには、それなりの力がないと出来なかった。
ここにいる諸氏は、当時の工場現場担当としては、相当なエリート。
その服装からも、彼らの違い(当時の一般的中国人にはまず見られない)と目からのプライドがわかる。
ジュースやビールは、ホテルなどを除けば、栓を抜いた形で売るのが一般的。

子どもは、どこの世界でも何かを与えてくれる。


相当裕福と思われる家庭の子どもたち。
今のシンセンなどでは、とても考えられないような質素ないでたちだ。

今の中国には、素人考えでも、1億、2億程度なら、1日も待つことなく入ってくるであろう人たちがいそうに思われる。
ちなみに、当時の上海には寿司、刺身はおろか、日本料理屋自体がなかった。
地元民として配給券を使ってタバコやパンを買えば、20円程度で朝飯にありつける。
が、公式には外国人が配給券を持っているはずがなく、飯店(ホテル)での食事だ。
ここでの1食は、平均的労働者の1週間分の給料が必要であり、その月の宿泊費は、同国の首相の表向きの年収全てを出しても払えなかった。
が、上にはまだまだ上がある。