
決定というと、いろいろな議論をして決めたというニュアンスがあり、まだ、その時点までは決まっていなかったかのような錯覚に陥ります。
ですから、今回のオリンピック開催地に関しては、決定という言葉はふさわしくないのではないでしょうか。
確かに誘致のためのプレゼンテーションが行われ、投票が行われたのでしょう。
プレゼンテーションで頑張った方々は、よくやられたと思います。
国会討論は、国会議員が質問なり回答なりを考えることは、まずないと思います。
その意味で、テレビ放映される国会中継は、浄瑠璃と大きな差異はないように思います。
これは、国会中継が不要と言っているのではありません。
ひとつのパフォーマンスの場とて、十分意味があります。
オリンピックの誘致におけるプレゼンテーションも、けして意味がないわけではなく、大切なパフォーマンスのひとつでしょう。
しかし、それはオリンピック開催地決定のためではなく、国の顔を知ってもらう、イメージ的な要素においてであり、全くと言ってよいほど、オリンピック開催地決定には関係ないものだと考えます。
特に今回の場合、だいたいの方がブラジルであることは、事前に予想がついたはずです。
私には、なぜマスコミがあれ程、晴天の霹靂のような表現、あるいはプレゼンテーションの良し悪しをチクチク言うのか、理解出来ません。
マスコミがテレビなり新聞なりで述べていることを、マスコミ自体本当にそう考えていたとしたなら、悲惨を通りこし、呆れるばかりです。
