
ちいとばかり、かたい話をさせていただきます。
『あの人はきれいで得だよなあ』なんて言ったりします。
はい、確かに好みの差はあるものの、顔や体の作り(造り)が整っていると、第一印象は良いものになるのはよくあることです。
が、それは最初だけ。
美しさが表面的なものだけだったなら、遅かれ早かれ化けの皮が剥がれ、悲惨な結果を招きます。
まあ、このあたりは皆さん書かれることでしょう。
で、私は外見的な美しさとはどこからくるものかを考えてみます。
西洋的な美人といいますと、プラチナブロンド、青い瞳(北欧などに多いゲルマン系民族)であるか、中南米コスタリカやアルゼンチンなどの、小麦色の肌をしたラテン系の場合が多い気がします。
たぶん、ミス・ユニバースとかミス・ワールドなどの半数以上は、これらの人たちでしょう。
彼女たちは、普通の人より、ほんのちょっとだけメリハリのある顔や体であるだけで、背中に羽がついていたり、下半身が魚であったりするわけではありません。
ほんのちょっとだけ、普通の人と違うだけです。
では、具体的に何が違うのでしょうか。
私は、自然界に存在する比率(例えば、よく知られている黄金比1:.1.168…
)に近い造形をなすものが美しさを感じさせるのだ、と学生の頃考えました。
結局、これを実証することは出来ませんでしたが、当たらずとも遠からず、と思っています。
普段何気なく使っているコピー用紙、あるいは今これを見ているパソコン画面、あるいは携帯画面の縦と横の比。
これらは、裁断や作業性、経済性から自ずと決定されたものです。
が、同時に、ごく自然にありふれた比率でもあります。
道端にある草花の葉の形、カタツムリの殻の形、顔や目の形と付いている場所。女性の胸、お尻、唇の形……。
挙げたらきりがありません。
たぶん、ひらがなに優しさを感じ、漢字に固さを感じる傾向があるのは、文字そのものの持つ鈍角・鋭角といったもの以外に、ひらがなの中にある自然の比率が関与している気がします。
そうそう、これはよく知られていることですが、日の丸は、なかなか憎い比率の円と長方形の合体をしています。
○があと少し大きくても、また、小さくても、なぜか不安定になりますし、○がど真ん中でも、ちょっと落ち着きがありません。
神社の鳥居、仏像の後背なども例外ではないでしょう。
表面的な美しさとは、自然界との調和のとれている造形だ、と私は思うのです。

どこぞの誰かは、南米を選ぶか、アフリカを選ぶか迷っていらっしゃる。
ああ、ウラメシマヤコン。イキタキマヤコン。
年に一度だけ、アブシンベルの中に日が入り、その秘密の一端を浮かび上がらせるとき……。
ああ、いいですなあ。
チチカカ湖で葦舟に乗り、“花祭り”を聴くのもいい。
ええなあ。