家族というものを
久々に感じてきました。
死装束やら、
辞世の歌など
作れなくていいんです。
せめて、 自分の……。
いや、
それもできなくていい。
せめて、何を考え、
何をしているのか、
わかって欲しい。
いや、わからなくていい。
悲しみを怒りにするな。
哀しみをぶつける方向を
間違うな。
あまりに、
憐れではないか。
あまりに、
惨めではないか。
しかし、
それさえ……。
おーい、雲よ
そう言った作家がいた。
朱儒の言葉を書いた作家がいた。
天智と天武に言及した作家がいた。
ロンドンの霧に、心病んだ作家がいた。
わたしは、占いやらは信じない。
ただし、占い師の言うことは信じるかも知れない。
というのは、ほとんどの占い師は、占いなどはしていないからである。
高名な占い師ほど、“科学的な”予測と判断とをしているからだ。
わたしは血液型による性格の違いは、占いよりは信じているが、天気予報ほどには、いな、天気予報の1割以上の信用はしていない。
というのは、性格というのは、大部分が環境と教育で作られる、と信じているからだ。
ただし、血液型特有の、疾患やショックに対する耐性、つまり、肉体的なことは、かなり影響があるかもしれない。
ちなみに、わたしは縄文人の血が濃い、B型である。
つまらぬことに力を使うことは、幸せなことではない。
が、わかっていても、使わねばならぬ時もある。
いや、私の場合、大半がそうだ。
まあ、これも人生ですかなあ。
しかし、正直なところ、地雷の散らばる野原、背中に短刀の生活は、しんどぅおます。
まあ、お笑い人生ですなあ。
暗くてごめん。
田舎に帰り、
ごくごく当たり前の、
自然な、
愛とか、
優しさとか、
気遣いとか、
食器を洗う音とか、
おはようの言葉とか、
お疲れさま、ありがとうとか、
笑い声とか、
泣き声とか、
近所との挨拶とか、
静かな夜とか、
まあ、そんなものに、
ひどく
憧れている
いや、遠くからしか見られなくなっている、惨めな自分を感じてしまいましたなあ。
明るい、当たり前のものを見て、あらためて感じてしまいました。
一部の方。
メール等で励ましありがとう。
わたしは、B型ですから、言葉ほどには暗くなりませんし、重くも感じません。
こうやってボヤくのは、実に女々しいことであり、以前のわたしならプライドが許しませんでした。
が、最近、自分の身体だけでなく心も、第三者として見つめいたわっているわけです。
ですから、まだある意味余裕があるわけで、ご心配には及びません。
わが人生をおもいっきりは笑い飛ばせませんが、第三者として“バカなヤツ”と見る程度はできますから。
さて、明日は少々早起き。
では。