涙が出てしまったパンの話 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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もう一度食べたい、思い出のパンを教えて!
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この記事は、正確にいうとブログネタの要求しているものとは違う。

というのは、涙がこぼれそうになるほど感激はしたが、敢えてぜひもう一度食べてみたいとは思わないからである。
いや、その後、何度も食べている。
が、その時の涙はおろか、どちらかといえば、自から手を出したいとは思わないものだからだ。

たぶん、話が見えないだろうから、順次説明していきますか。



それはまだ文化大革命の傷痕・歪みが、あちこちに見ることができた頃の中国本土。


工場では、洗面器を小ぶりにしたようなホーローで炊いた飯が出る。
一度出たマナガツヲを褒めたら、おばちゃんは1ヶ月近く、洗面器飯にマナガツヲを載せた料理を出してくれる。

本当のことを言えば、コンビニののり弁当とでさえ比較にならぬ味わいの代物だが、外国人である私に、当時そこではなかなか手に入らないものを作ってくれていることを知っていたから、せめてものお愛敬のつもりではあった。


夜になれば、外国人しか入れなかった賓館や飯店で、おそらく彼らの何日か分の稼ぎに相当する値段の夕飯だ。

が、当時は、おそらく実数では世界一の人口を誇る上海には、日本料理屋は一軒もない。それどころか、女性がビールを運んだりする行為は許されていなかった。

とにかく、外国人は外で食糧やタバコは買えない。

配給券が必要だからである。

だいたい、外国人用の紙幣と現地人用の紙幣は全く異なっていた。

外国人用、現地人用とも単位は同じものの、形が全く異なる。
また、名目上1:1の価値だが、実際には外国人用のがはるかに価値があるし、応用が利いた。

だから、配給券なしでも外で食糧を買うこともできた。が、これにはなかなか勇気がいる。

あっ、この勇気とは、外国人用紙幣をちらつかせ、怪しい取り引きをして公安に目を付けられたりする事ではない。

そんなことや尾行、盗聴程度でビビっていたら、とても当時の上海で生活などできまい。

勇気とは、何かを食べたあと、1人で病院に行ける勇気があるか、ということである。

今でも覚えているが、私の後任となる先輩といる時、香港にいる先輩が、ソバと寿司をハンドキャリーしてくれた。

私たちは、そのソバつゆを1週間くらいかけて、ちびりちびりしたものだ。

飯店の夕飯は確かに美味い。

とにかく、日本では食べられないような中華料理は食べられる。
が、流石に毎日はきつい。
おのずと青島ビール、紹興酒の量が増えてくる。


洗面器飯にも、中華料理にもゲップが出てきた頃、久しぶりに香港へ戻った。

ビザ更新のためだ。

本土にいてもできないことはないが、とにかく時間がかかるし面倒だ。

だから、一旦、当時は外国だった香港に行き、ここで中国本土への入国許可を得て、また本土へ行くわけである。



この時、機内食で出たパン。

それは、なんら変哲のない拳大の丸パンだった。



それをひとかじりしたとたん、口が、胃が喜び、体が震えるばかりの感動が全身に広がった。



なんとさっぱりした美味さであることか。

私は喉が痛み、視界がぼやけ、その二口目を、なかなか口に持っていけなかったのである。










なぉぱん***




なぉぱん***



なぉぱん***