母の話 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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今私は新幹線の中にいる。 
そして、この記事を書き終える頃には、もう降りる準備をしているに違いない。 

先ほど、アメリカ・インディアンの話を初めてたばかりなのに、なぜ話が母のことになるのか? 

おそらく私の記事を昔(とはいえ、まだ1年もたっていないが)から知っている何人かの方は、題名を見ておよその見当がついたはずだ。 


先ほど、プロローグを書き終え発信しようとしたちょうどその時、家出した極悪長男に代わって実家をみてくれている弟から電話が入った。 


操作を間違えずに、よく記事がのこせたものだ。 





今、母は黄泉の国の入り口を彷徨っているらしい。 

私は急きょ、電車を乗り換え、今新幹線の二階席てこれを書いている。 




…………………… 


母は、戦前はあの山まで他人の土地を踏ますに行けることを自慢する、まあ、大地主の長女として生まれた。 

だから、かなりの年になるまでは、その誇りみたいものを纏っていた。 

思春期を迎えた私には、それが嫌だった。 

が、ここ10年くらいはそんな羽織も脱ぎ捨て、仏に近い考えができるようになっていた。 


戦前は、某侯爵だか伯爵だかにダンスに誘われたりしたらしい。 

子どもの頃、水着姿の母の写真を見たことがある。 
当時は考えなかったが、今思うと、たぶん当時にしては相当ハイカラな水着だった気がする。 



が、戦後母の生活は一転する。 
とにかく、畑仕事などという慣れぬことをしながら、安給料の夫を助ける為、着物縫いの内職をして息子たちを育てた。 

が、愛情いっぱいに育てた長男は、全く家に寄り付かぬばかりか、自分ひどく嫌っているようだ。 


と、母の希望の多くを傾けた長男は、遠方の大学に行き、喜び勇んで海外に行ってしまう。 


母はそんな思いを地元の文学雑誌や、ローカル新聞に投稿したりしている。 


母の墨字はセミプロレベル。絵心もそこそこあり、そこの評価を得られていたようだ。 

が、一番評価して欲しい息子には、全く無視されていた悲しみは、今ならわかる。 

が、私は、親子であっても子であると同時に一人の人間という考えでいたし、今も息子には、そう接している。 

が、このへんが男と女の違いなのだろう。 


息子は、息子であり、なかなか一人の人間という見方ができなかったのである。 


これは、私はより強く、いや異常と言って過言ではい別の悪い例も知っており、それから比べたなら月とスッポンではあるが。 



とにかく、今のような生活は想像の外にあり、いや、実際の私の生活など理解できないだろうが、なんにしても、母には心の安らぎを最後の最後まで与えられずになりそうだ。