
これは、昭和30年に爆発的なヒットをした、菅原都々子さん(青森県出身の歌手で、戦後歌謡界の神様古賀政男さんの養女)の歌、『月がとっても青いから』の冒頭だ。2番目の歌詞は「月の雫に濡れながら」、3番目も「月もあんなにうるむから」と続く。
今回のブログネタの答えは、この中にある。
好き合う男と女の間には、理由なんぞいらない。とにかくできるだけ長い間一緒にいたい。
それだけなのである。
その時は、たまたま月が出ていたから「月がとっても青いから」遠回りして帰り、長い時間を共有したいだけにすぎず、もしこれが月の無い夜だったなら「暗い夜道が怖いから」になるだけだろう。
実はこの発想については、既に明治時代にある文豪が明言していらっしゃる。
かなり神経質で結構な癇癪持ちである一方で、すぐに海外ではホームシックにかかってしまう、あのお方。そう、おそらく日本人ならほとんど毎日お顔を拝むであろう、『坊っちゃん』とか『吾が輩は猫である』なんていう作品を残された、近代日本文学を代表される、あのお方である。
彼が先生をしていた時のことだが、こんな逸話が残っている。
この三四郎先生、英語の授業で生徒たちにこんな質問をした。
《I love you》を和訳しろ、というのである。
生徒たちは「我は汝を愛する」だの「そなたを愛しく思う」なんていう訳をするのだが、すべて先生のメガネにかなわない。
さて、そこで先生は模範解答を披露する。
『月がとてもきれいだね』と訳するのだと。
生徒たちも、その逸話を聞いた私たちの多くも、なるほどなぁ、と頷く。
が、この感覚が国際的なものか、あるいは日本独自の感覚なのかはわからない。
また、最近の若い方たちが納得でき得るものなのかも、少なからず不安が残る。
清少納言の昔から『春はあけぼの』の感覚を持ち続けてきた日本人が、今大きく変質し始めている。
そう考えるのは、私ひとりだけであろうか。