
覚えちゃいねえな。
と言って様になるのはハンフリー・ボガード。
私が言ったなら、「また、ボケが進んだわよ」となる。
最近、すっかりGWは家で過ごすのが定番となってしまった我が家ではある。
私が長連休の真ん中で会社に行ったり、地元のあれこれがあったりしたから、特に今年は、いつ連休だったんだ?という感がある。
そんな中、日帰りでの田舎とんぼ返りは、たぶん特筆すべき事項かも知れないなあ。
イーデス・ハンソンをもじった名前の半村良(良がイーデス、ハンソンは半村)という作家がいて、『妖星伝』という、宇宙開闢から宇宙の死までを描いた、とんでもないスケールの小説がある。
この作品の冒頭に出てくる洞に近いところに、母の入院している病院がある。
ひどく辺鄙なところだが、このあたりには紫式部の墓(だだし、どう見てみても鎌倉時代以降の五輪塔)があったり、道鏡が別当となって生を終えた寺があったり、また、慈覚大師の故郷であったり、東日本では大型の前方後円墳があったりと、なかなか面白いところではある。
陰陽道に通じる方が見たら、面白い地形なのかも知れない。
ところで、このあたりから日光男体山を見ると、山容が前髪を垂らしたようにみえる。
これは男体山の崖が、数ヶ所長く崩れて、それがちょうど髪の毛のように見えるからである。
だから、地元の人は男体山を黒髪山とも呼ぶ。
黒髪山、つまり日光を切り開いたのは、わが田舎村の勝道上人だが、日光は昔は二荒(ふたら)山と呼ばれていた。
この二荒が音読みされ、ニコウ→ニッコウ→日光となったらしい。
二荒山のフタラとは、梵語、つまり古いインド語の代表であるサンスクリット語のフタラク(ポータラカ)、涅槃を意味するようだ。
男体山の形は、アララト山と並び、多くの宗教の聖山として知られるカイラス山に瓜二つであるように私には思える。
徳川家康の霊廟をここに定めたのも、単に陰陽道的なもののみならず、カイラスとかかわりもあるように思えてならない。