
日本での評価は今一つだったが、黒沢明監督、スピルバーグ総指揮作品に『夢(Dreams)』というものがある。
現代の今昔物語風オムニバス映画で、確かすべて「こんな夢を見た」で始まったような気がする。
映画というより、おとぎ話アートと言ってよく、それぞれの作品一つ一つの1シーン1シーンが、美術館に展示されていても不思議ではないものだ。
特に、安曇野の水車小屋のある風景、大好きな笠智衆の桃の花咲く丘の舞、絵から抜け出したゴッホは、鮮明に記憶に残っている。
私はこの映画を観て、『ああ、私も映画監督になり、こんな映画を作ってみたいものだ』と思った。
つまり、ネタの求めているものとは多少ズレるが、映画を観て、その製作者になりたかったのである。
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話はガラリと変わる。
ずいぶん昔の話になるが、『エマニュエル夫人』という映画が話題になったことがある。
ある女性の愛の遍歴を映像化したものだ。
内容的にはB流、C流。
しかし、映像のエレガント・エロチック、今風に言うならセレブな女性のソフトタッチセクシーを全面に出したためか、鼻の下が伸びた中年おじさんはもちろん、若い男女にも人気があった作品だ。
ほの暗い裏の路地で手相を占っていたおばちゃんが、一気に全国テレビのレギュラー入りしたような作品であり、表の映画史にも残る作品だ。
実は日本では公開できないブランコ遊び、一部カットされたムエタイボクサーとの場面など、ややグロい部分もある。
日本版しか知らない方で、しっかり映像ではなく話の流れに主眼を置きながらご覧になった、たいへん稀な存在、希少価値のある方なら、話が急に飛んだり、映像が突如荒くなったりしたことに気づいたでしょう。
私はフランスで、何故か隣に私の意中の方ではなく、その方の友達という私より一回りくらい年上の方と観たことがありますが、その2時間くらいは少し怖かったですね。
さて、では極め付きの恐怖体験を、約2名の強い希望により書きますか。
実はこれ、エマニュエル夫人の出だしの場面にも、ごくわずか関係がありますかね。
それは、私がまだまだ髪がふさふさしており、フランスの山奥でなら、アラン・ドロンコそっくりなんて言われていた、まだ瞳に希望と清純という文字が映っていた頃の話です。
それまで海外出張は何度もして、1年でパスポートの継ぎ足しをしなければならないくらいでしたが、ついに駐在が決まりました。
シンガポールです。
実は、私が勝手に第4のオヤジと呼んでいる、当時専務だった方の粋な計らいによるものでした。
というより、本当は中国駐在に決まりかけたのを、「こんな所で私の青春を……」みたいに噛み付いたりしたんですな。
ああ、若い。
今じゃ、隣からやってくる野良猫にも遠慮して、素知らぬ顔で草むしりしている自分とは大違いです。
さあ、飛行機が成田を飛び立ってしばらくしてから、ピンポーンの音と共に、シートベルトを外してよいとのアナウンスがありました。
隣にいるのは、20代後半と思われるかなり細身の女性です。
ビジネスクラスにいらっしゃるのはちょっと珍しい存在の、当時の私には、ある意味でたいへん身近でもあるお仕事に携わっているであろう、ある雰囲気をお持ちの方でした。
彼女がマレー系の方であることは、隣に座った時から感じていましたが、それはどうでもよいことで、気になっていたのはむしろ、時々はっきりとわかるように私を見つめ、なんでもない揺れに大げさに体を揺すりながら、私に触れてきたことです。
ちょっと疲れました。
続きは、町内会関係を片付けてから。