
納まりそうにないので、ここはひとつ見方を変えて考えみようかな。
まずは『宇宙の果て』って何だ?
というところから考えよう。
『宇宙果て』とは、宇宙に広がりの限界があって、そこから先は宇宙ではない、そんなところがあるのか?ということを言いたいに違いない。
しかし、ここで、ごく単純な疑問が湧いてくる。
というのは、例えば、仮に宇宙に果てがあったとした場合に、
『じゃあ、その宇宙の果て』の向こう側は何なの?
というものだ。
あそこの山までが私達の町、そこから向こうは隣町というならわかる。
が、『宇宙の果ての向こう側』は『宇宙』ではないの?という問題だ。
いくつの時だったか忘れたが、とにかく小さい時に、これを考えて眠れなくなったことがある。
実は、今でも実感としては理解できない。
が、多少物理学のようなものをかじってから、
『宇宙には果てがあり、私たちに理解できる向こう側はない』
というようなことが、なんとなくわかってきた。
つまり、私たちの宇宙は、現在の人類の知識では、光の速さ(1秒間に30万キロメートル:つまり地球を7.5周又は月まで1.2秒の速度)で頑張っても、およそ137億年位かかるあたりまで広がっているらしいこと、そしてその先には、『暗闇』も『真空』も『何もない』のだ、ということがわかり始めてきたのである。
が、この『何もない』ということを納得、理解するのに苦しんだ。
何もないと言ったって、その先が、つまり『何もない宇宙』があるだろうと思っていたわけだ。
が、大人になり少しずつ理解できるようになってきている。
もちろん、理論的にであり、実感としてではない。
仮に実感として理解できたという人がいたなら、その人は大嘘をついているか、『何もない』の意味を理解していないか、少なくとも我々より『物理学的意味合いで』高い次元の方なのか(精神的な、比喩的な高次元という意味ではない)、精神的な病にかかっていらっしゃる方か、あるいは私のように冗談好きかのいずれかだろう。
まとめると、
宇宙には、
『果てがあるけど、私たちの理解できる果てはない』
という、言葉の上では矛盾した結論となる。
また、『人間原理宇宙論』という哲学のような数学のような学問では、たいへん興味深い『宇宙の数字』が出てきて、不思議では理解できない世界が広がる。
宇宙飛行士や物理学者などが、高名な聖職者となったりする例を時折耳にする。
確かに、宇宙にある数字、例えば電子半径と宇宙半径、粒子数、宇宙年齢などを追いかけていくと、『神』というものを考えないと理解に苦しむ数字が出てくることは、わずかではあるが知っている。
が、私はこうしたことは、最近考えない。
昨日芽を出したユリが、いつになったら白い大輪の花をつけるかとか、部屋の中まで漂ってくるであろう香りのこととかに胸を弾ませていたほうが、どれほど楽しいことか。