
長谷川主水(もんど)は、たらいの水から越中ふんどしを取り上げながら、フーッと深いため息をした。
一つしかないふんどしを洗ってしまったから、今宵は下ばきなしで寝なくてはならない。かすりの長襦袢だけでは、内股がひどく冷える。いや、最近さっぱり使い道がなくなった2つの分銅と長竿、いやいや芋虫のようなものの居場所が、どうも落ちつかない。
唐傘張りの内職仕事が、ここのところさっぱり回ってこない。
それもそのはずだ。ここのところ米が値上がりして、毎日のまんま代がかさむから、唐傘なんざ二の次だから仕方あるまい。
と、主水は自分の下手さから仕事が回ってこないのを知ってか知らずか、すべてを世間のせいにした。
グーグーと腹の虫が泣いた。
思えば、今朝方から白湯と大根の葉っぱくらいしか食べていない。
その大根の葉っぱも、長屋の誰かがゴミとして捨てていた共同流しの端に引っ掛かかっていたものを、あたりに誰もいないことを確かめながら、素早く袖に入れ込んだものだ。
幸い塩は、先日大家の娘に婿が入った時のご祝儀にもらったものが、まだ、たんまり瓶に残っていたから、一つまみばかり取り、大根の葉をもんでしばらく置いて置くと、いかばかりか腹のたしにはなったのである。
いしやーきいも、
やーき いも
いも いもー
遠くで一段と腹に響く声と、キャキャとはしゃぐ子どもたちの声が聞こえてくる。
通り二つは離れたであろうところから、なんともかぐわしい匂いが漂ってきた。
主水の腹が、グーグーと、また鳴った。
翌日、いよいよ食うものがなくなった主水に天恵が訪れた。
空腹を紛らわそうと、観音寺に桜狩りに出かけた。
運がよれば、酔狂な人が酒など振る舞ってくれるやもしれぬ。いや、それは無理としても、どこぞの裕福な商人のお内儀あたりが食べ残したチラシ飯を探せるやもしれぬ。
そんなあさましい思いがあったのだが、本人はいたって『武士は食わねど高楊枝』よろしく、半乾きのふんどしに内股が蒸れ気味にもかかわらず、平然と桜を見ながら句でも作っている素振りで、時々ぶつぶつとなにやら呟いている。
夕闇が迫ってきた。
結局、主水の当ては外れ、口に入ったものは桜の花びらだけである。
もう、花見客は誰も見えない。
落ちている花びらでも拾い集めて帰ろうか、と考えている時だった。
おおーっ。
という大きな声に続いて、ガシャーンと何かが倒れる音がした。
振り向くと、大八車が倒れている。
でえじょうぶか?
へえ、石っころに車をとられちあいやして。
そうか、けがはないか。
へえ、ご心配いだだきあして……。
男は、大八車の荷台に俵を積み直している。
どれ、わしも手を貸そう。
いや、お侍さんの手を借りるなんざ……。
男は断ったが、主水は俵を車に乗せるのを手伝ってやった。
ありがとうごぜいやした。助かりやした。
で、てえへん失礼かと存じやすが……。
男が、腰に付けた紐につないである1文銭を引っ張り出そうとする。
何をたわけたことを!
わしは、かような心づもりでそなたを助けたのではない。
主水は、喉から手が出るほどの思いを、必死でこらえながら言った。
そのせいか、多少声が上ずっていたかも知れない。
それを大八車の男は怒りと勘違いしたのか、詫びも半ばに、車が外れるのではと思える速さで大八車を引いて行く。
と、1斗ばかりの小さい俵が一つ、大八車から転がり落ちた。
が、男はそれに気づかないのだろう。いや、仮に気づいても、命あっての物種とばかり、もう次の角を曲がって見えなくなっていた。
主水は、素早くあたりを見回した。
薄暮の中に人影はない。
多少の罪悪感と、少なからぬ歓喜を織り交ぜながら、主水はその小俵を胸に抱えて、周りをキョロキョロしながら、暗闇が訪れるのを待って長屋に戻った。
息を潜めながら俵を開ける。
主水を、一瞬、めまいが襲った。
それは、朝から桜の花びら以外に口に入っていなかったからだけではなかった。
俵の中味は、暗闇にも白く光るうどん粉である。
おおーっ。
と、思わず声に出すところだった。
1斗のうどん粉。
これだけあれば、何日口を満足させられるだろう。
主水は、空腹であるどころか、急に胃の腑が膨らんできたような気がした。
それから、3ヶ月。
主水はサバの煮付けと、香のもので、椀いっぱいの白まんまを食べている。
先生、早く文字教えてくだしゃーい。
隣長屋の、きい坊の声だ。
早くー。
と、また別の声。
主水の板一枚隔てた外が、ずいぶんと騒がしい。
待て、待て。まだ、メシを食い終わっておらん。
主水は、先日調達したばかりの長襦袢をもう一度確かめ、満足そうに言った。
先生。早くしてくろ。おいら、早く文字覚えてえ。
主水が始めた手習いは、滅法子どもたちに人気がある。部屋の中が熱気でむせかえるほどなのは、その子どもたちの数のせいだけではない。
主水は今、食い物の心配どころか、洗ったら乾くまで落ちつかぬ思いで待つ、内股の心配もいらなくなった。
主水の手習いは、囲炉裏に鉄板を敷き、そこに水で薄めたうどん粉をたらしながら漢字を教え、帰りにはその『文字』となった焼きものを子どもたちに与えるというものであった。
子どもたちはこれを『もんじ焼き』と言って、喜んで主水の手習いに通う。
手習いというより、もんじ焼き目当ての子どもがやって来る。
噂が噂を呼び、今や主水は左うちわの日々なのである。
もんじ焼きはやがて、もんじゃ焼きとなって、江戸を代表する食べ物になっていった。
おわり
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注意:これは全くのフィクションです。もんじゃ焼きの語源とは関係ありません。
しま爺をよく知っていらっしゃいます方なら、お分かりとは思いますが、改めて断っておきます。
今回はブログネタの解答としては『判定不能』になるかも知れませんが、相当力を入れちゃいました。
ぐあんばるぞ。
関脇まであと一歩。