
3月。
移動のシーズン到来である。
ただし、今年の移動は例年の10分の1。
歴史的不況を前にして、企業のコスト削減は、こんなところにも始まっている。
というのは、公共団体においては次年度予算枠を削られないためにも、今年度の予算はきっちり使いきらなければならないから、必死て金の放出先を探さなければならない。
が、一般民間企業、ましてやオーナー会社傘下の、名ばかり株式会社にあっては、転出に関わる費用も最小限に抑えたいところなのでる。
だから、どうしようもないチョンボをし、かといってなかなか切り辛い者を除けば、部門内移動で隅へおいやるしかないのだ。
本来なら、東京千代田本社から、網走支所支店あたりの支店長として『栄転』という左遷をしたい相手がいたとする。
普通ならその時点で9割の者が『自己都合』による退職願いを出してくる。が、この不況である。2つ返事で『ありがたくお受けします』の答えが返ってくるだろう。
本当は辞めさせたい人間の為に、転居補助20万円に加え、僻地手当て、寒冷地燃料補助、階級アップによる昇給合わせて、毎月5万円を差し出したくはない。
そんなこんなで、今年3月は異動が少ないのである。
哀れなのは、この時期をあてにしていた運送業者であろう。
そうでなくても苦しい台所に、あちこちから火の手が上がっている。
円高還元でガソリンの値段は、一時期の狂乱価格から昔並みに戻ったものの、運送業者が使用するトラック用の軽油は、依然として高値のままだからである。
魚沼、通称ウオちゃんは今、今年8人目の引っ越しを請けおった。
東京から、石川県輪島への家財一式の移動だ。
依頼主は、四十がらみのさえない目をしたひょろりとした男だ。やや猫背ぎみで青白い顔が、移動のやるせなさと陰鬱感を一層際立たせている。
もともと単身赴任だったのか、あるいは独身なのかはわからない。
が、荷物は用意した2トントラックの半分にも満たない。
「鳥さん、あっちへ行っても頑張れよ」
男は鳥居とか、酉島とでもいうに違いない。
同僚らしい男が肩を叩いた。
鳥さんは、大きくため息をはいたようだ。
「鳥さん、バンザーイ、次長バンザーイ」
わざとらしい、一人万歳の声。
ウオさんは思った。
あの人は輪島まで飛んで行く。
いや、自分の意志ではなく飛ばされてしまったようだ。
俺は、お客さんの言われた通りの道を泳ぐだけ。
どっちにも、『自由』なんてありゃしない。
鳥さんがウオさんにちょこんと頭をさげ、
「よろしくお願いします」
と言いながら、ぎこちない笑みを浮かべた。