
かつては、“かつ丼爺”と陰で呼ばれていた私である。
“丼”といったなら“かつ丼”である。
その理由は簡単だ。
かつ丼が好きということもあるが、いわばこれは、失敗しない為の、経験からきたものである。
例えば、初めて入る店で何を頼むかを考えて欲しい。
麺類を頼みたいが、これは危険な臭いがする。
以前、ある高級店で酸辛タンメンを頼み、食べ物には文句を言わない主義、中国工場の洗面器飯でもありがたくいただいた私でさえ、大声で怒鳴りたいくらい悲惨な酸辛タンメンを食べたことや、さびれた観光地で“参りました。ごめんなさい”といったチャンポン麺に出会ったりしてから、初めての店なら、麺は味噌ラーメン、丼ならかつ丼にしている。
もちろん、その店自慢とかがあれば、それを頼むこともあるが、最近は外に出たり、旅行もしていないから、そんな名物を口に入れる機会もほとんどなくなった。
ところで、かつ丼には忘れられない思い出がある。
私は、覚えている限りにおいて、父と2人だけでどこかに行った、という記憶は3回だけである。
初めの記憶は、いつつか、むっつ。まだ、小学校に入る前だ。
2番目は、中学生の時。 3番目は、大学を出て就職が決まり、家を離れる決意をした時である。
このうち、2番目と3番目は、かつ丼を一緒に食べた。
私の父は、子どもの私が言うのもなんだが、聖人のような人で、私のような垢まみれ、世間の汚れにどっぷり浸かった人間とは違い、今どきの日本には珍しい、天然記念物級の雲の上の存在だ。
公務員退職後に人権擁護委員などを拝命し、世の中のよどみや汚さを知った気配があるが、いまだにすべてが“善”で成り立っている。
いろいろな面で、圧倒的にオヤジには及ばないが、世の中の汚さの経験と知識についてだけは、私の方が上だと思う。
だから、“跡取り息子”だったはずの家出同様の長男が、なにやら悩んでいるのは分かっているようだが、喜寿をとうに越えた聖人に、敢えてゴミ溜めを覗かせる必要もあるまいと考え、電話の受け答えも口を濁すこの頃だ。
余談が長くなってしまった。
丼と言ったなら、かつ丼ですなあ。
うな丼は、上にのっているものが貧相だと、かなり寂しい。
親子丼なら、自分で作った方がうまい。
本当は、パスタ大好き人間で、半年くらいならパスタオウンリーでも満足なんですが、正直なところ安い店のパスタは今一つ。
同じお金出すなら、美味いと感じるものがいいですわな。
やっぱり“かつ丼爺”を続けますかね。