ここ数年というもの、年末に一年を振り返るなどはしなかったし、また、その余裕もなかったような気がします。
しかし、今年は年末年始中の仕事から解放され、また、今の会社に入ってからは初めて、思い出深い一年だったため、今年のおさらいなんぞをしてみようと思います。
今年は、とんでもないスタートで始まりました。
正月明け、年始挨拶に来たお客様と話しをしている間中、私には相手の話はほとんど耳に入ってきませんでした。というのは、肩から胸にかけて引きつるような痛みがあり、全身に冷や汗をかいていたからです。症状から、「心筋梗塞かも知れない、まずい」とは思ったもののお客様が帰られるまでは、なんとか無理な笑顔で応対していた気がします。
その後すぐ救急車というわけにはならなかったのですが、まあ、このへんの事情は割愛してやりますか。
結局、心臓に異常はなく、単なる過労だったようですが、今の会社に入って初めて約1週間の休みを取りました。
さらに、『中味のない名前なんざいりません』があったからかどうかはさておき、見事2階級降格。
控え目に見ても、2人分の仕事をこなしていると思ったのですが……。まあ、しがないゴミ掃除爺のぼやき・愚痴になるから、仕事の話はここまでとしましょう。
生活苦からだけではない、山の神殿の長期出張。
そんなおり、ある出版社に応募した小説が審査員特別賞を受賞。とはいえ、時間をみていろいろな公募を経験している私には、この審査員特別賞なるものがどの程度のレベルかはわかっているつもりなので、全くと言っていいほど感激がありませんでした。
しかし、自分の体、子どもたちのことを考えた時、何かを残しておかねば!との思いが、沸々と湧いてきたのです。
日本文学館という出版社は、その名前通り文学を主に出版をしています。今年の夏チャリティーテレビ番組で話題になった『みゅうの足(あんよ)、パパにあげる』は、ここから出たものです。
若い時なら、2、3ヶ月ちょっと飲むのを我慢すればなんとかなる出版費用ですが、特別待遇枠で製作費のみ負担とはいえ、経済的に厳しい今の私には、苦しい選択でした。
私は、小説ではなくある種の入門書のような作品に、約2ヶ月没頭しました。
これは日本語の語源を考えるというもので、素人の私が言うのもなんですが、あまりに遅れている日本語語源学に一石を投じよう、との思いで書いたものです。
実は昨年、図書館を使ったコンクールみたいものがあり、全国のそれ目当てに活躍されているサークルの皆さまの本になった立派な応募作品の中、原稿手書き、ホチキス止めというものでも、とりあえず佳作に入ったという自信から、これを本にしようと考えたわけです。
ですから、2ヶ月というのは、校正と清書にかかった時間とみてよいでしょう。
なお、この作業で驚いたことがありました。
それは、日本文学館校正担当の方の素晴らしさです。先に述べましたように、私は時々作品を公募し、稀には採用されたり入賞して何らかのご褒美なんぞをいただいております。ですから、校正に関しては、全くの素人ではありません。しかし、日本文学館の校正ほど的確で迅速なものは知りませんでした。本当に懇切丁寧、勉強になりました。
これが出版されたのが7月。
その直後、30年ぶりの仲間たちとの出会い。
一生会えず終わってしまうかも知れないと思っていた顔に出会えたことは、本当に幸せでした。
さて、仕事も昨年以前よりは緩和され、0時前には家にたどり着くことができるようになりますと、数年前までは3時間程度の睡眠で働いていた私には、いくら体調が悪いとはいえ時間があまります。
ある人には、こまネズミ爺と言われるくらい、ちょこちょこ動いていないとダメになってしまう私は、ひょんなことから、地震情報サイトを知りました。
多少は地震の知識があったのですが、そのサイトで交わされている内容に唖然とし、あまりに弱者をいじめるような投稿者に、この年になり言い様のない怒りを感じました。
7月下旬から9月下旬までの約2ヶ月は、私はそのサイトでパニック状態に貶めよう、他人の不安を煽って楽しんでいる人との闘いを繰り広げました。
もし、地震サイトに詳しい方がいらっしゃったなら、しま爺とマイちゃんまたの名前数十とのちぐはぐなやりとりや、サイトでの私の戦友である梟さん、地震・雷嫌いさん、あるいは別格のM.Sさんの名前はご存知でしょう。
なお、マイさんはけして悪意があったわけではなく、別の見方をすれば固定観念に正直で、寂しがり屋だったことは、ある程度年のいった方ならわかっていたかも知れないですね。
私は、十勝沖地震の前日に、『日本で近日中に起こる地震』というスレをたて、後日 地震予測の種明かしをして、そのサイトから『しま爺』の引退宣言をして去りました。
正論を言っている時は、早くくたばれ、サイトから出て行け言われても、ありもしない予言とやらが嘘っぱちであり、ひどいパッシング、あらしの類にもあいました。
が、やっとパニックがおさまり、いざ去る時には、マイさんからもエールがもらえたのは嬉しかったかな。
このマイという子(性別、年齢不明)は、じゃじゃ馬でどうしようない娘のように思え(男かも?)、それだけに余計愛情みたいものがあった気がします。
今サイトを覗いたら、相変わらずマイさんハンネを変えて頑張ってますが、ずいぶん穏やかになったようです。ちょっと安心。
このサイトには、『来年の中秋の名月に、またここで』と約束した友ができました。
みな、私の子どもでも不思議ではない年齢の方たちばかりですが、若い人たちの心に直に触れられた思いがし、貴重な体験、得難い友を得ました。
さて、このサイトを去る直前、アメブロなるものがあり、一般人でもブログを開くことができると、初めて知りました。
そして、9月末日、『しま爺の平成夜話』がスタートしたわけです。
そこから後は、私の新しい人生のスタートです。
実は私は、ブログなど仮想社会の存在には否定的でした。
しかし、今やここの友達は、無くてはならないものになっています。
どんなに疲れた時でも、ほっとさせてくれ、明日への力を与えてくれます。
また、現実社会では会うはおろか、近づくことさえままならぬ方々とのやり取りさえできました。
今やこのブログは、私の生活の一部になり、ここで知りえた皆さんは、かけがえのない友となっています。
皆さま、今年は、大変お世話になりました。
来年も時々愚痴してしまう私に懲りずに、
黒服を着ていても、心は白いはずの寂しがりやというお方には、笑いと不思議を期待。さらに、可能ならば東西南北の動物的勘が授かることを。
子どもたちのために、新たな道を切り開いた方。
時々は心配させるようなことをしても、根は真面目でそこも頑張りすぎないかと、またお節介な心配をしてみたい。さらに、素敵な恋も語ってくれるかなあ。
心は甘いが、作るものは辛く、自分にも塩をきかせてしまうご人には、来年こそ、暖かな春の訪れを祈りたいなあ。チワワもかわいいが、それではない写真が載ることを期待。
涙もろくなった私の涙の20年分をプレゼントしてくれた新婚さんには、来年は30年分の嬉し涙がプレゼントされることを、第二のパパとして期待したい。
フフンと言いながら掃除大好きな方には、大人になっても変わることない親子の姿を映して欲しいなあ。
ポエムが大好きな若いカップルには、今と変わりなくほんわかな雰囲気を期待したいが、2人の次のステップにも興味津々。
みんなに慕われ、休業日なのに学生たちの為に台所に立ってしまう、高校生のお母さん、常連のママさんには、失われつつある日本の良さ、旦那とネコの会話を期待したいなあ。
病院から、多々のジレンマに悩みつつも、皆にエールを送ってくださっている方、焦らずいきましょう。ここの皆が優しく見守っています。
スカンジナビアの森と泉の国から、暖かい視線で見てくださる方。スオミ語のことで分からないことあったら聞きます。よろしく。
こんな私を先生なんぞと呼んでいる貴男。私の言葉にも嘘はある。そこは自分なりに咀嚼し注意すること。なお、先生は困る。爺、呼び辛いなら、爺様でよい。
年の差などなんのその。B型亭主との日常をさりげなく綴るお方。大変な名文だが、それに気づかないほど素晴らしい。実に羨ましい間柄だ。来年も私の憧れの世界を覗かせてください。
世界を知り庶民の目を開けさせ、政治屋なんのその。貴女のような方に、拙い意見を取り上げていただいたことは光栄です。ありがとうございました。
ああ、もっともっと書きたいが、そろそろ字数制限に近づいてまいりました。
お正月を海外で過ごされる方も、帰省され田舎でのんびりされる方も、私のようにボーッと過ごされる方も、火星基地マーズアイランドに旅行される方も、
よいお年を。