
学びたい、というと嘘になる。
何故なら、もうそれを吸収する能力も、コツコツと学習する持続力もないですから。
でも、大変興味をそそられる言語はある。
20~30ある興味深い言語のなかで、表面をさするだけでもしてみたいものを挙げようかな。
これからは、たいへんマニアックなことだから、興味ない人はスルーすることを、おすすめしたい。
私は、日本語の成り立ちに興味を覚え、各国の古い言葉などを、片端から調べていったことがある。
3年くらい前の話だ。
言葉を考える時には、文化、宗教も極めて重要な要素だから、私が大嫌いだった宗教学やら、歴史についても、さらりとではあるが学習した。
そうこうしているうちに、日本語の成り立たちに関しては、素人の私でさえ笑いこけてしまうような、日本語語源がまかり通っている現実に愕然とし、しばらく図書館通いを続けることになる。
ヨーロッパ南部の言語が、ラテン語にその源を発し、そのラテン語もギリシャ語あたりから、くらいは知っていたが、世界中の現在ある言語の基本的言葉に、ある規則性のようなものを見いだしてから、私は半病人のような日が続いた。
会社は、昔でいう3Kに近いものだ。名前は横文字のよくわからないものだが。
だから、家に着くのが0時過ぎは、日常茶飯事と言っても過言ではない(ただし、給料は笑ってしまうほど安い)。
寝ぼけ眼で、図書館から借りた本とにらめっこする。
公共図書館というのは、なかなかいいシステムだ。とにかく言語に関する本、特に古代言語の本などは、発行部数が少ないから、とんでもない値段だ。ちょっと興味あるものを購入しようとしたら、月給全額払っても足が出る。
辞典の類は、図書館でも貸し出ししないから、その場で筆写する(コピーは便利なようで、結局役だたぬことが多く、頭にも残らない)。
こうして、表面をなぞる古代語、現代語の簡単な自分用辞書を何十冊か作った。
しかし、田舎の図書館では、まだまだ資料不足なものが多く、日本語語源の謎は深まるばかりだ。
今 欲しいのは、2千年くらい前までは使われていたとされる、アラム語や古代ヘブライ語関連の辞書と、『死海文書』と呼ばれる資料の全コピーだ。
しかし、前者はともかく、後者は千年くらい待たないと無理だろう。
というのは、『死海文書』は、全世界に大きな影響を与える可能性があるからだろうか。
一部の資料は、バチカンの奥深くに保管されているらしい。
真偽はわからないが、いかにもありそうな話だ。
多くの日本人のように、実質無宗教の国では理解が難しいが、宗教の根本に関わる事柄が覆ってしまう可能性のあるものを、表に出して、自ら母屋を焼くバカは、自分の為にも、皆の為にも、よくないからだ。
また、コプト語も触りたい。
古代エジプト語の末裔てあるこの言葉には、古代エジプト語に強い影響を与えたシュメール語との関連を見つけられるはずだ。
そのシュメール語に、生で接したいが、これはタイムマシンでもなければ、到底無理そうだ。
日本語は、シュメール語にかなり近いはず。
その遺跡は、今砂の中に隠れ、また、そこに行くには、何発かの鉛玉が身体を貫通する覚悟が必要である。
メソ・ポタミアとエジプト。
この二つの地を結ぶ線上に、現在の人類の原点がある。