
こういうのは昔から、自分の中にプレゼントをさがせ!と相場が決まっていた。
青い鳥を探しに出かけた、ヘンデルとグレーテルにしても、結局は青い鳥を家の中で見つけたではないか。
また、仮に物をもらうにしても、遠慮がちにした方がよかった。
金や銀の斧を求めてはいけない。
また、やたらと大きな袋をもらってはならない。
さらに、素晴らしそうな物をもらっても、けして開けてはダメだ。
開けたとたんに、老人になったり、魔物・災いが訪れる。
玉手箱、パンドラの箱のように。
だが、これは、古き良き時代の話である。
世界的に経済不安が広がり、昨日までフォアグラとトリュフの生活をしていた人が、河川敷で段ボールの床で新聞紙にくるまるということが、さほど奇異なことではなくなってくるだろう(その裏で、貝に嘴を挟まれた鶴を捕まえ、ほくそ笑む人も、少なからずいるだろうが)。
そんな世の中になったなら、遠慮、思慮している余裕も時間もない。
幸せとか夢とかを求めるより、明日の飯、目の前にある肉片にむしゃぶりつくようになる。
勿論、すべてというわけではないが、今の世の中、ある程度福澤さんと縁がないと、基本的な生活も、最低限の教育も受けられない。
やっと、文科省も過ちを認め(これには、いろいろな力関係、ポリシーの違いなどから単純に総括してはならないが)、名前だけの『ゆとり教育』を考えなおすようだ。
これはいいことだが、現場で働く先生、それを管理する教育委員会がどのように対応するか、また、できるか興味深い。
話を戻そう。
今、まず欲しいもの。
そんな世の中だから、やっぱり袋一杯に詰まった、ある株式会社が発行している、日本ではその会社以外に発行を認められない、福澤さんの似顔絵かなあ。
まあ、サンタクロースの袋一杯あれば、だいたいの悩みは、まずまず解決できますからねえ。