
若い頃は、動悸・息切れという言葉同様、高所恐怖症とか、閉所恐怖症というものを実感として捉えることができませんでした。
でも、最近、
吉田兼好が徒然草の中で、現代風に訳せば
『友達を持つならなあ、ファイト一発!今日もバリバリやろうぜ、みたいのはよした方がいいよ。そういう連中は、体の弱い者のことなんかわからないからな』
と述べていたことが、やっとわかる年になってきたんですな。
知床・ウトロのトンガリ岩(知床のPRによく出てくるクリスマスツリーのような形をした岩)のてっぺんに登りバンザイ\(^O^)/していた私には、『怖い』と言って、そこまで登って来なかった友人を理解できなかったんですよ。
それと、兼好法師というのは、ずいぶんひねた見方をするんだなあ、とも感じていましたねえ。
そんな、自分しか見えなかった男だったんですが、
今になりましてね、数十年前に読んだ随筆の意味が、やっと理解できるようになってきたんですわ。
実はね、観覧車という、えらくのんびりした、スリルのかけらさえ感じられなかった乗り物が、ひどく怖く感じられるようになってきたんですなあ。
チャンギ空港ロビーで、自動小銃を構え、緊張のため目が開きっ放しになっている若い兵士に近づき、髭モジャモジャの不審な男が、つまり私がつかつかと自分の方へ来るのに体が震えている若者を横目に見ながら『May I smoke,here?』なんぞと言って、相手が安堵に肩をなでおろす姿を見て楽しんでいたようなことを知っている人には、
今の私は別人に映るかも知れないですね。
まあ、その当時は、
『この男が引き金を引く確率は、給料が倍増する確率より低い』
に似た、確信と観察力プラスαがあったのも確かですがね。
さて、観覧車に誰と乗るかっていう話でしたよね。
お美しい方と乗るのもいいでしょうなあ。
でも、これって、こと女性に関しては、昔から小心者の私なんか、結構気を使って疲れるんですな。
果たして、どこまでしていいのかなあ、とかね。
それに、今は観覧車に乗ること自体“楽しみ”ではないわけですから、
と、考えると、
やっぱり孫ですかね。
孫のキャッキャラ、キャッキャラはしゃぐのを見ながら、高所を忘れ、私に嬉しさを分けてもらうんですな。
? ? ?
! ! !
そっ、
そうでした。
私にゃ、まだ孫いないんでしたっけ。
そうでした、
そうでしたねえ。
いやあ、年をとると昔のことは日時どころか、その時の雨や土の匂いだの、ベンズアルデヒドとアナイス・アナイスの香りだのとかは、はっきり覚えているんじゃが、最近のことは、さっぱりですわい。
ところで、あなたはどなたでしたかね。
ずいぶんお優しいお方で。
ふん?
はあ?
息子さん?
どなたの息子さんでしたかなあ。
よく、見たことがあるお顔なのですが・・・。
で、観覧車の話でしたよね。
いや、ボケたといっても、そのくらいは覚えていますぞ。
その前にね、
徒然草の中で吉田兼好がな、・・・。