「都瑠香、出てこい」
父親の呼ぶ声は、都瑠香(とるが)と呼ばれた女の耳には入らないようだ。
女はクマザサの生い繁る、ダケカンバの林から、じっと最仁を捕らえている。
「いいか、都瑠香。お前はあんな腑抜けになったらいかんぞ」
女は、今は亡き祖父の言葉を思い出していた。
「お前の父親は、この国の連中になついてしまい、すっかり我らの誇りを忘れてしまった。さらに、あろうことかのブッダのようなものを信じる輩とも馴れ親しんでいるようじゃ。悲しいことよ」
女は、祖父から何度も同じことを聞かされた。
「いいか、都瑠香。お前は、ああなってはいかんぞ。この国の連中は、我らのことを傀儡(くぐつ)などと蔑(さげす)んでおるが、我らはシバ神とドルガ神という尊い神の子孫じゃ。シバ神は、ほれ、あそこに見えよう」
祖父は、谷川の上流を指差す。
そこには、切り立った崖から七尺(約2メートル)ほど谷側へそそり立つように突き出た、長瓜のような岩がある。岩の根元には、不自然な形の丸岩が二つあり、かずらがぶらさがっていた。
丸岩は、あるいは人の手によるものかもしれない。
いずれにせよ、それらは、容易に男根を想像させるものだった。
「ドルガ神は、そなたにもあろう。股の間にある、人の生まれ来るところよ。都瑠香、そなたの名は、ワシがつけた。よいか、人はシバ神とドルガ神によって生まれてくる。世界は、この二神が作られ、多くの神を従わせておわす。ブッダのごときは、神を冒涜し自らシバ神にならんと、天上界から去って行った下級神の一人じゃ。かような神を最高神として敬うこの国の連中も、同じく蛮族よ」
祖父は吐き捨てるように言い、口を歪めた。
「よいな、都瑠香。お前は、お前自身のその名にかけて、蛮族どもになびいてはならぬ。よいな」