五戒を守り、乞う者には食を与え、痂病(かさぶたやみ)の者にも手厚い看護をし、その徳の高さは京にも知れ渡っていた。
円林寺の丑寅の方角に、芝神(しばやま)という山がある。
名前とは裏腹に、ススキさえ生えぬガレ山だ。
芝神の谷の奥には、唐天竺(からてんじく:昔の中国、インドの呼び名)、あるいはそれより遥か西の地の果てからやって来た傀儡師(くぐつし:人形使いや猿回しなど今のサーカス芸人の類。ただし、昔は多分に差別的意味合いをもつ。作家を『小説家』というが、これも物書きを蔑んだ名残だ)たちが住んでいた。
この傀儡師たちの頭(かしら)に、都瑠香(とるが)という娘がいた。
青緑色の瞳は、湖水の如く澄み、後ろ姿を追う男たちは、そのしなやかな脚、きりりとしまった足首、妖艶な腰の動きにしばし見とれ、妻のある者は、その存在を忘れ、まだ一人身の者は、今宵の手慰みにと、しっかりその姿を目蓋の奥に焼き付けさせるのだった。
そんな男たちの思いを知ってか知らずか、蒸す夜になると、都瑠香は薄衣を脱ぎ捨て谷川に身を沈め、あられもない姿をさらけだすのだった。
