第三次世界大戦 2 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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第二次世界大戦が終わって、日本はアメリカ様々と、何でもアメリカの真似をしましたな。

食い物に住宅、習慣まで真似をしていった。カトリックとプロテスタントの違いはおろか、キリスト教とイスラム教のちがいさえわからぬ連中が、やれクリスマスだ、ハロウィンだ、教会で結婚式だのと、中身はほっぽいといて、表面ばかりなぞりおったわ。


まあ、そこまでは、まだ可愛げがあったものよ。


日本というのはな、もともとは農耕民族なんじゃよ。自然は友であり、神でもあったんじゃ。

だから、神の所業、つまり四季折々の変化を、以心伝心で子孫に伝えていくことができたわけじゃわい。


寒い冬をこらえれば、春には花が咲き、秋には恵みがあることをからだが知っていた。嵐で倒れ朽ちかけた木があっても、それは無数の虫たちや、芽を出した木々の新たな命の源となることを、経験的にわかっていたんじゃ。

唯一絶対の力を持つ宗教が発達しなかったのは、他国から見れば、水と緑にかこまれた豊かな自然、穏やかな気候によるものだろうよのう。


島国であり、ほとんど単一民族。かつ、今言ったように絶対的な宗教というものも育つ環境になかったから、ごく最近までは外国というものを意識する必要もなければ、感ずることさえなく生活してこられたのじゃよ。


しかし、今考えると、この経験のなさ、語らずとも解りあえるはずだ、という国際的にみれば、あまりに幼く非常識とさえ言える人の良さが、結局は命取りになってしまった気がするわい。


おい、そこの若いの!
どうした?


なに?ジジイの話のどこが第三次世界大戦と関係があるんだって言うのかい?

そうだよのぉ。
携帯電話で産声を田舎のじいちゃん、ばあちゃんに聞かせてやったり、カードさえあれば自然に金が湧き出てくると思っているお前さんらには、ジジイの前置きは、退屈かも知れんわのぅ。


じゃがな、ここんところがわかってなかったら、なんで第三次世界大戦は敗戦で終わっているのか、さっぱりわからんと思うて、ちいとばかり長い話をしただけじゃわい。


おっとっと、そろそろ今日も終わっちまう。そろそろみんなも家に帰りなさい。

この話の続きは、また明日じゃわ。

ほんじゃ、気いつけてお帰り。


ジジイはもう寝るわ。

お休みじゃ。

お先に、ごめんなんしょ。