今日はちょっと重めの記事です。
たまにはいいよね?
ようやく書けるぐらいまで自分の芯が強くなった気がするので、ここ数ヶ月、あまりブログをアップできなかった大きな理由の一つについて書きたいと思います。
何も新しいことではないのですが、特にここ数ヶ月間、狐に憑かれる人が増えてきたと感じていました。魔に憑かれている人、ともいいます。
誰の目にも明らかな場合はまだ可愛いのだけれど、最初は本当に良いものとつながっていた、能力も高く、「この人は大丈夫だろう」と思っていたような人達に魔が差しだすと、なんだか信じられない、信じたくない気持ちがあった。
光と闇は一体で、持つ光の量が大きければ闇の量も大きいと言われます。
光の大きい人々が憑かれていくのをリアルタイムでみることを通じて、本当に多くのことを学ばせていただいたと思う。
スピリチュアルな生き方というのは誰にでもできる当たり前の在り方のことでありながら、魔はほんの小さな心の隙にも差すから、本当にそれを全うすることは、少しの心の隙間も許さないということであり、簡単でもない。
厄介なのは、魂が高い人に魔が差すと、魔もレベルが高く、巧妙すぎて、周りどころか本人にさえそれがわからないぐらいするりといつのまにか入り込むということ。
それまでの在り方が本質をついているだけに、わかりにくいということ。
そしてそのパワーと影響力の強さゆえに、周りへの影響も大きく、厄介であることは容易に想像できると思う。
(その最たるものが元は大天使だったルシファーなのではないか?)
私の場合、ありがたいことにクレアコグニッサンス(透知力)が強いようなので、
ほとんどの人が感知しないようなかなりの早い段階で「微かな違和感」としてそれを感知します。
それでも「思考」の私がそれを気のせいだと無視し、例えばその人達に接触しようなどとすると、(その方々のパワーが強く、私がのまれる可能性がある場合)上が強制手段を使って止めてくるようです。
それは、一生懸命にに靴を履こうとするのに、物理的な足が動かずに靴が履けない、みたいな感じではっきりと止められます。
顕在意識の私は、最初は意味が分からなくて必死に靴を履こうとして、でも微かに履かない方がいいことを知っていて、なんだかイラついていたのだけれど、何度も経験しているうちにパターンがつかめてきて、今では本当にありがたいことだと思うのです。
私の上がなぜそこまで魔がさすことに敏感かといえば、私が少なくとも一度過去生でそれで失敗しているからだと思う。
だから今生では、絶対にそれを繰り返したくないと誓い、様々な方法で道から逸れないように守られているのだと思う。
そう考えると、今生でそれを学びに来ている魂もいるわけで、必ずしも避けなければならないとか、悪い経験ではないのかもしれないけれど、
今の地球の状態からして、ちょっと負担が大きいと思うから、できればこれ以上増えない方がいいと思って、書いてみました。
エネルギーが混沌としているからなのか?
次元の移り変わりで隙間が生じているからなのか?
私には原因はわからないけれど、そのぐらい最近、そういう人が多すぎて、正直私は混乱していました。
少し前までは明らかに欲望丸出しの人達が憑かれるぐらいだったのが、最近は、本当に善良な、まっすぐな意思をもって活動を始めた人達にまで影響がでていたように思うから、にわかには信じがたかった。
いや、違うな。
意味は分からないけれど、気持ちが悪くて、
確証を持てるまで遠巻きにみていたという方が正しいかもしれない(基本、ビビり)。
私がこれまでに出会った数少ない真のスピリチュアリスト達は、そのほとんどがあまり表に出ていない。
それが何故なのか、ようやく、本当にようやく私にも分かってきた気がする。
「持ち上げられる」「有名になる」「影響力を持つ」ということは、
それほどまでに危険を伴い、危ういことなのだということを。
必要のある人に伝える必要のあることを伝えられる程度に表に出ることは必要だけれど、
それ以上になると、大きなリスクと背中合わせなのだということを。
だからあえてその役をやってくれている人々はものすごく勇気があるチャレンジャーなのだろうとも思う。
救いがあるのは、元の魂が高い人々は、魔に憑かれている時、
どんなに表面が上手くいっていても、
本人の中が一番訳が分からないながらに違和感と心地悪さを感じて苦しんでいるように見えるということ。
その感覚が失われるまで麻痺しない限り、時期が来れば気づき、また大きくなって羽ばたかれるのだろう。
それでも「特に表立っては何もできていない私よりも、多く人に少しでもよい影響を与えている彼・彼女らの方がやることやって、成果をだしているのではないか?」と悩んでいた時に、ある人が教えてくれた。
「それを成果だと思ったらだめよ」と。
その一言で、「成果とは、一瞬一瞬の在り方のことであり、
毎瞬、毎瞬、濁りない純粋なエネルギーをだしていること」に他ならないのだと気づいた。
それ以上に大切で、影響力があるものはないのだと。
それぞれが「本質の自分に還る」ことが、
アセンションであり、地球の波動を軽くすると私は思っている。
皆が「本質の自分に還る」お手伝いをしたいと魂が切望していて、
一日も早く自分自身が本質に還ることが、夢の実現への近道なのだと。
でも、その先は私に一体何ができるのかわからなかった。
特に秀でた霊能力もない私が、この分野でできることなんてさほどないのではないか、と。
でも、真の癒しも、教えも、諭しも、すべて言葉でも能力でもなく、「在り方」でしか与えられないのだと気がついた。
だとすれば自分自身が「本質の自分に還る」ことの他にすべきことなどないのだろう。