先日の「オルゴナイトは悪なのか?(1)」の続きです。
話を私が何故オルゴナイトを創っているのか、に戻しますね。
一番は、私自身がオルゴナイトに助けられたことがあるから、です。
私は、自分が作ったのではないr オルゴナイトを一つだけ持っています。それはとても高度なプログラミングがなされたオルゴナイトなので(見かけはどこにでもある多産されているオルゴナイトです)、ものすごいエネルギーが噴出しているのを感じます。
でもそのオルゴナイトは、私が現在知る限りもう二度と売り出されることはありません。
だから自分が少しでもそれに近いオルゴナイトをつくって、一人でも多くの人に届けられたらと思うのです。
世の中はオルゴナイトブームのようで、様々なオルゴナイトが出回っていますが、本来の機能を失った、アクセサリーの様なものが多いなと思うのが正直な感想です。
もちろん見かけの美しさにもこだわりたいけれど、オルゴナイトの機能を失ったらもったいないなと思います。だからアクセサリーではない、本来のオルゴナイトが広まったらいいなと思うのです。
それから、オルゴナイトの便利さと美しさが好きです。
私は石が好きです。日々、石のお世話になり、親友のように身に着けているストーンもあります。もちろんクラスターも大好きです。
でも、クラスターは高価ですから、なかなか沢山は買えません。
それに重かったり、繊細だったりするのであまり持ち運美には向きません。
その点、オルゴナイトは比較的安価ですから部屋の四隅置きなどもしやすいですし、丈夫なのでお守りのように持ち運んだり、枕の下に入れたりもできるのがいいなと思います。
クラスターはなかなか置きにくい雰囲気のオフィスのデスクなどにも、気軽にさりげなく置きやすいところも気にいっています。
安価ですが、創りようによってそのエネルギーの可能性はクラスターにも引けを取らないと思います。
最後に・・・
小さなかけらとして母体から離れた水晶が、オルゴナイトとしてキラキラと生まれ変わる瞬間に立ち会う度に、とてもわくわくします
わき役だった子が主役になってスポットライトを浴びたような
そして、有機物(レジン)と無機物(金属)、そして鉱石(水晶)が合わさって織りなす世界が、小さな宇宙の様に見えて、みていて飽きないんです
実は今、父が入院しているのですが、病院に一つ置いておくようにプレゼントしたんですね。
父は目に見えない世界なんてまるで縁のないタイプですし、それまで私がそんなものを作っているなんて知りませんでしたから、笑われるかなと思ったのですが、気に入ってくれて、「看護婦さんが、『それすごく癒されますね~』って言っていたよ」と嬉しそうに母に話していたらしいです(笑)
では石は苦しいのか?
少なくとも私にはそんな風には感じられません。
というよりも、日ごろの付き合いから、石は人間の役に立つことをとても喜んでくれていると感じますから、オルゴナイトの中に入る石たちもさらにパワーアップして活躍することを喜んでくれているように思っています。
やっぱりストーンをオルゴナイトに入れるのは嫌だと思われる方は、オルゴナイトは本来有機物と無機物を重ねればよくて、ストーンはなくてもよいわけですから、入れないものを使われたらいいかなと思いますが、私はやっぱりストーン入りのものが好きです。
詳しくはMana Leaのホームページのオルゴナイトの歴史を読んでいただけはわかりますが、ピエゾ効果というもので、樹脂の中に入れることでストーンのパワーが増幅するんですね。
それから、「闇の勢力が流行らせたものなのか?」という疑惑…
これについては、何を信じるかは人それぞれですが、もしオルゴナイトが闇のものであったとしたら、オルゴンエネルギーを安価な代替医療として人々に広めようとしていたライヒ博士が黒で、それを鎮圧しもみ消そうとした合衆国政府は白なのか?(笑)
先日のトマトの話にあった様に、これは創り手の意図とその人がつながっている世界が大きく影響してくる部分でしょうね。
オルゴナイトでなくても、原石でも黒魔術に使うこともできるわけですし、扱いの良くないお店に置かれていたものなどは、負のエネルギーを持っているものもあります。
私自身は、オルゴナイトにしても、サンキャッチャーにしても、持ち主となる方が、その方自身の輝きを見出し、イキイキと幸せに生きていく上でサポートをしてくれるアイテムの一つになればという願いから、一つ一つ自分の子供の様な気持ちで手作りし、浄化しています。
自分自身も、日々宇宙の根源のエネルギーにつながる時間をとり、今の私にできる限りの高い波動を保てるようにしています。
ですから、創ってお届けするものに変な念やエネルギーを入れないための努力は怠っていないつもりです。
今はその気軽さとさりげなさが好きで、オルゴナイトとサンキャッチャーという形をとっていますが、正直なところ形はなんでもよくて、私を含め一人でも多くの人が、その人の最善・最高を引き出して生きていく地球になっていくために、自分ができる貢献をしたいというのが私の望みです。
私にもっと実力がつけば、もっともっと本質的な部分での貢献ができると信じて、これからも自分を高めていきたいと思っています。