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現在ダラダラと私の人生をかいつまんで書いている途中ですが、読んでお分かりの通り、私なんて大した苦労もしていないんですよ。
もちろんもっとヌクヌクと育った方も、ものすごく地獄のような苦労をしてきた方もいらっしゃるでしょうが、母親(父親)の信念(母(父)の呪詛と呼びましょう)があなたの人生に深い影響を与えるのには、特に人生の苦労度なんて関係ないし、誰にでもあるもの、むしろない人なんていない、ということを知って欲しいのです。
呪詛というとおどろおどろしいですが、簡単に言えば、「設定」「思いグセ」「信念」です。
ただこれに気がついていないと、人生のあちこちで大きな影響を与えていることに気がつかず、なかなか目の前の悩みの根源に気がつかずに苦しんでいる方が多いので敢えて「呪詛」としました。
「聖なる予言」をお読みになった方なら「コントロールドラマ」がこれにあたりますし、多分「アダルトチルドレン」というのもこれに当たると思います。
私は両親には様々な面で感謝していますし、今ではとっても愛されているとわかっています。
でも、それとこの両親の呪詛とは別物だと理解してくださいね。
私の中では、両親の呪詛とは、貴方の中の宝箱の蓋を開ける鍵だと理解しています。
留学中も色々とありましたが、オーストラリアという土地でがむしゃらに夢に集中したお陰で、完全に鬱からも脱し、母にもある程度認められ、卒業後は帰国するという約束は守ったので、しばりも緩くなっていたように思います。
就職氷河期で院卒がスタンダードな業界でしたので、学卒の私は多少の苦労はしたものの、少し奇抜な経歴が役立ち、私はなんとか希望の職種につくことに成功します。
入社した会社は、完全なる男社会でした。
建設系技術職であったので、各部署に女性の技術職は、全くいないか、1-2人でした。
帰宅は早くて8時、終電はスタンダード、繁忙期は朝まで仕事して、数時間でまた戻ってくるという日々でした。
それでも充実した日々でした。
忙しいながらも恋愛も楽しみました。
一旦、母の呪詛は溶け、私は自立したかのように見えました。
…が、相変わらず母の意見に手こずる日々は続いたのです。
例えば、私の選んだ結婚相手には不満はなかったものの、「結婚するのに若すぎる」と一悶着ありました。
26だったので全く早くもないのですが、「貴方は30過ぎまで独身でバリバリと働いて、こっちが『そろそろ結婚したら?』」と言うまでしないと思っていたのに」とか、笑える理由です。
母は寂しかったんですね。
私がお嫁に行ってしまうのが。
婚前に初めてで最後の二人だけでの旅行を母としたのですが、この「寂しさ」が炸裂した母にものすごく手こずりました。
母は自分の寂しさや不安を素直に表現せずに、相手を非難することで紛らわせようとする癖がありました。
母の非難が始まると、私もついつい子どもの私に戻ってしまい、オロオロしてなす術がなくなったものです。
出来事よりも性格を批判されるので、自己否定感が強まるのです。
この母の癖には、結婚した夫も手こずっていました。
彼の両親は全く違うタイプ。
こういったことで怒られたことがなかったんです。
婚約中も結婚してからも、私達の様々な選択により母を激怒させてしまうので、可哀想な夫はまず一番に母の意見を気にするようになりました(笑)
結納・結婚式にまつわるあれこれ、
転職、引越し、住宅購入、
帰省の際のスケジュール配分、
などなど…結婚してからもことあるごとに逆鱗に触れたものです
更年期や母自身の夫婦問題による不安定感もかさなり、5年ほどは本当に大変でした。
電話するたびに嫌味を言われるか、激怒されるか、他の家族の愚痴を聞かされるかでしたから、毎回ドキドキしたものです。
ブログにも何度か書きましたが、その後意図せずして母に遠隔でレイキを送り出したことが事を奏して、母と私の関係は劇的に改善しました。
今では本当に怒られることがほとんどなくなり、例え拗ねたり嫌味を言われても私自身が対処できるようになり、困ることがなくなりました。
こうして私は母の呪詛から完全に解放されたのだと何年も思い込んでいました。
…が、ものすごく根底にまだまだ母の呪詛がイキイキと根付いていることに私は全く気がついていなかったのです。
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