再生物語② 〜男前な生き方が染み付いた訳〜 | Bliss of Gaia 〜本当の自分を生きよう〜

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新しい地球では「本質で生きる」「自立する」がキーワード。
本質で生き、自由に自分の世界を創造していくことをナビゲートします。

今回は、私がこれまで男前に生きてしまった理由をお話ししたいと思います。

人の根底にある設定って、ほぼ例外なく母親か父親(もしくは育てた人)の信念が反映されている、もしくは影響しているように思います。

子供は親を選んで来ますから、もしかすると自分の学びのためにその設定が埋め込まれることを子供が自分で選んでくるのかもしれませんね。


男親、女親どちらにより大きな影響を受けるかは、どっちにテーマ性があるのかによる気がします。
一概には言えないでしょうが、女性の場合、表に女性的なものが多くでている人は父親、男性的な性質が多くでている人は母親との確執が大きいように思います。
角質というよりも、そちらの親との縁が深い、といった方がよいかもしれませんね。

ここから先は私の個人的な話で、特に面白くないかもしれませんが、読んでくださった方がご自身の問題設定を紐解かれる時に、何か参考になる部分があればと思い、長くなりますが書くことにしました。
ご興味なければ飛ばしてください。




私の場合、大きな影響を受けたのはでした。


雪国出身の母は、就職先の東京で父に出会いました。
で、若い2人は結婚し、やがて私が生まれます。

…が、ある日、予定外にも父の両親のいる九州に引越すことになってしまいました。

当時まだ飛行機などで気軽に日本列島を飛び回れる時代ではありません。
船に乗って本州をはなれ、未知の南国にやってきた母は、心細かったのでしょう。

…が、義理の母はあまり話が通じる人ではなかった。

そして、夫もあまり気持ちを汲んでくれるタイプではなかった。

友達もいない未知の場所。

男児を…というプレッシャーの中で、産まれた子は二人とも女の子。
(私の妹を妊娠している時は、「女の子だったら実家に置いてくれば」と言われたそうです叫び)


そんな中で若かった母は、必死に生活して行くわけです。
きっとキツくても、帰りたくても、どこにも逃げ場がなく、気軽に帰れないことに、怒りや不安や悲しみを感じることが多かったのではないかなと思います。
母の母(私の祖母)は、私が幼い頃になくなりましたから、余計にその孤独は募って行ったのかもしれません。


やがて彼女自身の人生で得られなかった夢を、長女である私に託し始めました。
そうすることで母は私が同じ思いをしないようにと思っていたのかもしれません。



一方、子供であった私は、本と植物が大好きで、空想の中で楽しんでいるような、どちらかというと内向的な女の子でした。
動物の言葉が話せるドリトル先生やコロボックルが友達の男の子の話の世界が大好きで、自分の机の中にもコロボックルがいつ来てくれてもいいように小さなベッドやイスを作って隠していました。


もともと不安感が強い子どもだったような気がしますが、長女であったために、小さな頃から母に頼りにされました。

例えば、持病がある母が出先で倒れる時、母子だけで東京など馴染みのない都市に出かけた時、いつもいつもしっかりするように、母より先に情報を捉えてくるように言われてきました。
そうしてしっかりとして、役立った時だけは褒めてもらえたのです。


私は成績だけはよく、中学ぐらいまでは学校で1番でした。 だけどテストで多少良い点をとっても褒められることは滅多にありませんでした。
(内心喜んでいはいたのでしょうが、その位ではまだまだダメだと思っていたのでしょう。母の家はかなり田舎の農家、父の家は学歴が高い人が多く、母はプレッシャーを受けていたのだと思います。)

そして、「妹や友達の○○ちゃんと違って天真爛漫さがない、女の子は愛嬌が一番」などと言われ続けていたので、ずっと私は女の子としてダメなんだと思っていました。


だから中学3年生の夏になって塾に行きはじめて塾の先生に認めてもらうまでは、成績のよさは私にはコンプレックスでしかありませんでした。

成績は愛してもらえる理由にはならない。
むしろ可愛げがなくなることだから、成績がよい人は愛されないという方程式を作り上げていたのです。


矛盾するのですが、母の口癖はこれでした。

「離婚したくなった時に、いつでもできるように、手に職をつけなさい。男と肩を並べられるようになりなさい。理系、薬学部がいいわね。」

高校に入り、1年生の終わりに、2年生から理系文系に別れるための希望調査がありました。

私は読書が人一倍好きでしたから国語は得意でしたし、社会も好きでした。心理学に興味があったので、文系が希望でした。

ですが、母は口癖の通り、私には理系に行って欲しかった。
ずっと公文式の数学をしていたのでその頃までは数学は得意でしたが、興味はあまりなかったので機械的に解いていただけで、正直数学の面白さはよくわかっていませんでした。
物理は当時は嫌いでした。

でも結局、理系に進学してしまいました。
親に歯向かって失敗するのが怖く、弱かったのです。

更にまだその頃まで成績がよかった私は、理系の中の特別クラスというのに入ってしまいました。
地域で一番の進学校、そして理系の特別クラス。
女子の人数は少なく、ますます「可愛い女子の世界」からは遠のいて行きます。

しっかりしていれば母の好みにあう。
男と肩を並べられれば、母は嬉しそう。


そうやって、私の世界は形作られて行きました。



やがて、ある事件がおきました。

それをきっかけに、私の成績はガタ落ちしはじめました。
勉強に身が入らなくなりました。
どんどん受験が近づいてくるのに、母の希望であった家から通える地元の国立大学の薬学部の判定はいつもC-D判定。

受験直前になってもそれは変わらず、私はようやく全く興味がない薬学部を受験することをやめる名目ができました。
文系に変えるには遅すぎでしたから、理系の中で辛うじて興味を持てた工学部のある学科に希望を変えました。

「うちはお金がないから地元の国立大学しか行かせない」と言われていましたが、やはりガタ落ちした私の成績ではダメでした。
私立は入学金を払っていなかったので行けず、親も仕方なく後期で受かった他県の国立大学に行くことを了解しました。

あの事件も、私の成績が落ちて薬学部を受験しなかったことも、地元の大学に行けなかったことも、その時はネガティブなことに見えましたが、今から考えると私が私の魂と自由を取り戻すために必要なことだったのだなと思います。



大雑把に省略しますが、その後、様々な経緯を経て、自分の精神のバランスを取り戻すために私は数年間沢山もがきました。

そしてその進学した大学を中退し、オーストラリアで卒業することになります。

オーストラリアという土地でがむしゃらに頑張り、私は自由と自信を取り戻しました。
そして就職活動のために帰国しました。

その頃には母も私の職業の選択には口を出すこともなくなっており、すっかり元気になった私は、めでたく憧れていた職業に着き、最初の会社で今の夫に出会うことになります。


続きます。




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