よくスピリチュアルな話では、「全てパーフェクト
」などと言われたりしますが、
」などと言われたりしますが、あなたは本当にそう思いますか?
嬉しいことがあったとき

いろいろなことがタイミングよくうまくいったとき

タイミング悪いと思ったけれど、後からそれがタイミングのよい出来事につながったとき

そんなときは、全て完全なタイミングで物事は起きているのだなと誰もが簡単に思えるでしょう。
だけどあなたが何年も何年も苦しんでいる問題がなかなか解決しないとき

自分や大事な家族に降ってわいたかのような不幸が起きたとき

本当に、「全てはパーフェクト」なんて思えますか?
私は思えませんでした。
頭でわかってはいるんです。
これは自分が(その人が)原因で引き起こしたこと…。
生まれる前に設定してきたこと…。
でも一喜一憂してしまう人間の自分がいました。
期待をしないといっても、
普通の人なら自分が願っている方向に物事が進むと嬉しくなるし、
そうではないとがっかりしてしまうのではないでしょうか?
だって人間だもの…(笑)

だけど、あなたにもありませんか?
過去に起きたものすごく苦しい経験やショックな出来事。
あの出来事がなかったら、私は人生を大きく変えたあの決断をしなかったなぁと思えること。
あの出来事がなかったら、私は今ほど大きく成長できなかったなぁと思えること。
私の人生を振り返ってみると私が劇的に成長した時期というのが何回かあるのですが、それは大抵、ものすごく苦しかった出来事や時期がきっかけになっているのです。
それを抜けた今は、心底あの出来事があってよかったなぁと思えるのです。
決して強がりでも、負け惜しみではなく。
あの出来事がなかったら、あの苦しみを味わわなかったら、きっと楽だっただろうけれど、きっと私は今ほど成長できていなかっただろうなって。
もちろん成長はいつも苦しくないとできないわけではないし、
楽に楽しく成長していくことを選ぶこともできます。
だけど、「あの時、私にはきっと必要な通る道だったのだろう」と素直に思える経験があるのは確かです。

以前にも何度か書きましたが、
私の最初の人生の大きな挫折の時期は17-20才の約3年間でした。
結構しぶとかった性格が災いしたのでしょう。
かなりストレス負荷の高い異常な状態一日も休むことなくさらされながら、完全に平気なフリを一年半ほど続けた結果(家族も毎日一緒にいる仲の良い友人達も誰も気がつかなかった)、私はバランスを崩してしまい、坂を転がるように負のスパイラルに入って抜けられなくなりました。
ほんの一時期とはいえ、起き上がれなくなった時期もありましたから、鬱だったのでしょう。
消えてしまいたいと思いました。
「いい子」を演じてきたカゴの中の鳥のようだった私は、親の期待をも裏切り、人生脱線してまったかのような絶望感を感じながら、天井を見つめていました。
でもあの挫折がなければ…
恐怖をとことん感じ切る経験はできなかったでしょう。
多分脱線する勇気などなく、母親の呪縛(特別なものではなく誰にでもあるものね)から抜け出すことはなかったでしょう。
枠の中にはなかった自分のやりたいことに忠実になり、オーストラリアにくることもなく、世界を今ほど身近に感じる自由さを身につけることもできなかったでしょう。
今は、あの苦しく辛かった日々につながった出来事は、私の人生を良き方に導いてくれたターニングポイントだったとはっきりと言えます。
そして30代後半に私はまた大きなターニングポイントを迎えました。
それは今も現在進行形。
今度は私自身ではなく、家族のことでした。
自分自身のこと以上にもどかしさを感じ、苦しみました。
自分のことなら私の意思でどうにでもできますが、私以外の人のことは、見守るしかできないからです。
そしてそのそばで自分はできるだけ安定していなければならないからです。
(私はかなりブレましたけど…笑)
10-20代のあの時よりも、何十倍も恐怖や不安や怒りや悲しみを味わいました。
もうすぐ2年半を迎える今、ようやく少しずつ光が見えてきた気がしています。
(特に物理的に何かが変わったわけではないけど、これまで全く動かなかったエネルギーが少しずつ変わってきたのを感じる(=^ェ^=))
今回は私以外の人間の問題だったのに、私がとても大きな学びと成長の機会をもらったのです。
そして、この先に待っているのは、この経験がなかった場合とは比べものにならないほど豊かな人生なのです。
今回のことがなかったら、私はこの数年で学んだ多くの学びを得るのに何十年かかったかわかりません。
もしかしたら、今生では学びきれないまま、終わったかもしれません。
本当にそう思えるようになってきた自分がおり、ようやく腑に落ちたのです。
自分を俯瞰する視点を忘れなければ、どの出来事も全て完璧だとその場、その場で感じることができるって。
自分はAという結果が欲しい時に、Bと結果がでても、じゃあその先に何が用意されているんだろうと考えたら自分の中がワクワクしだすことを。
これは全てをポジティブにこじつけて捉えて、本音に蓋をするということとは全然違うんですね。
嫌なことは嫌だし、苦しいは苦しい。
恐れとか、不安とか、本音の感情はガッツリ感じ、消化しながら、さて、次は何がでてくるんだろうとワクワクする自分を失わずにいられる。
この私の例では、どちらも最後は(今回のことはまだわかりませんが)、私が願った結末ではなかったのです。
だけど、私の想像が及ばないぐらいもっと大きなスケールの良きことを運んできてくれたのです。
Aがいいと思って、Aが得られなかったことにこだわれば、不幸に見えるかもしれません。
だけど、所詮人間の想像する良いことなんてたかがしれています。
だったら、Aにこだわらず、あなたの想像を超える神様級の良きことが目の前に織り成されるのを見てみるのもいいかもって思いませんか?

こんな単純な、そして誰もが知っているようなことを、私はやっと体感し、習得しかけています。
私は器用そうにみられるけれど、かなり不器用です。
頑固者だから、誰かの受け売りじゃ納得しないし、自分がしっかり体に落とし込めるまで何度も何度も疑問を自分にも、人にも、見えない存在にも投げかけて、何度も実験し、観察して、ようやく体に落とし込こむ。
時間かかるけど、そうやって確実に身に落とし込んだ学び達は、私の大きな財産です。
全てパーフェクトというのは、嘘だけど、一周まわってやっぱり本当だった!
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