みなさん、こんにちは、スピリチュアル ディレクター(スピリチュアル カウンセラー)のイェシュアです。

 

6月も半ばを迎えました。みなさんはいかがお過ごしでしょうか?みなさんの日々が、幸福で満ち溢れていることを切に願います。

 

さて今日は、「善への執着からの解放」ということについてお話ししようと思います。

 

「善を行い、悪を犯すな」という教えは、恐らくあらゆる宗教の核心的な教えであり、善とは「真実の人間の在り方」であり、「人間に求められるべき真理」であると言えるでしょう。

 

善を行うことによって、私達の生活には平和や調和や幸福が訪れるようになるので、善行は大いに勧められるべきものです。

 

しかし、善に執着するようになると、私達の生活は、大変息苦しいものになります。「あの人は何故、自分の悪行を直さないのだろう?」「世界や社会の悪は、いつ消え去るのだろう?」...etc...と、善の欠如を見て、日々、悶々とすることになります。善への執着がゆえに、人生が苦しいものになるのです。

 

キリスト教、禅、ヒンドゥー教には、「事実には良いも悪いもない」、そして、「善も幻である」という洞察があります。幸福な生を実現するために、「事実には良いも悪いもなく」、「善も幻である」と看破することによって、「善への執着からの解放」を目指すのです。もちろん、それでもなお、善が「目指されるべき真理」であることに変わりはありませんが。

 

より良い人生、社会、世界の実現のためには、善をなすことは必須です。善行をコツコツ実践しつつ、同時に、「善への執着から解放された」幸福な人生を、日々創造してゆきたいものです。

 

それではまた:)

 

イェシュア