みなさん、こんにちは、スピリチュアル ディレクター(スピリチュアル カウンセラー)のイェシュアです。
春がやって来ましたね。みなさんは、いかがお過ごしですか?みなさんの春の日々が、喜びで溢れていることを、切に願います。
さて、今日は、「自我を教師にせずに、自我と共に生きる」ということについて、お話させて頂こうと思います。
自我とはとても厄介な存在です。自我は、私達が、自分自身を「"滅び去る存在である肉体"と同一視したこと」から生まれました。自我は、自分自身を"肉体と共に滅び去る存在"だと認識しているので、その自分を守ろうとして、恐れ、不安、怒り、苛立ち、不満、罪悪感、劣等感、無価値観...etc..、といったあらゆる負の感覚を、私達の内に呼び起こします。 この自我が生み出す負の感覚から解放されるためには、自分自身の本性が、"決して滅び去ることのない不滅の真我"であることを自覚することが必要になります。イエス キリストは死者の中から復活することによって、私達の本性が不滅の存在であることを、示しました。 クリスチャンとは、自分自身の本性が不滅の真我であることを自覚している人のことを言います。
しかし、自分自身が不滅の真我であることを自覚したからといって、自我がなくなることはありません。私達に出来るのは、自分自身が不滅の存在であるという「真我の観点」に立ち、自我の働きに振り回されないこと、自我の働きから距離を取って生きること、すなわち自我を教師にせずに、自我と共に生きてゆくことです。
至福を求める探究者としては、自我がなくならないというのは、ちょっとがっかりするニュースです。自我が生み出す負の感覚から完全に自由になることは、肉体を持っている限り、不可能なことなのです。そして、この冷酷な真理を受け入れる時にのみ、自我との戦いは終焉し、私達は、真我の自覚において、永遠の至福、平安の内に生活していくことが出来るようになるのです。
自我との生活は苦しいものです。しかし、この苦しい生活の真っただ中で、自分自身が不滅の真我であるという自覚を保持し、「自我を教師にせずに、自我と共に生きる」ことによって、喜びにあふれた日々を、是非とも創造してゆきたいものです。
それではまた:)
イェシュア