夢見つつ深く植えよ(小さきものたちへのブログ) -12ページ目

夢見つつ深く植えよ(小さきものたちへのブログ)

私はこの自然界に存在する小さな物が好きです。

私の小さな庭に咲く花々や、そこにやってくる日頃見過ごしてしまうような虫たちにもスポットを当てながら、私も小さき者の仲間として、この自然界で共存していければと願っています。


      

丈高くのびる秋草は、一本一本がそれぞれ気ままに風にそよい

で個性的。ぼんやりとした春霞に咲く、愛らしい春の花とは少し

趣が違っている。

秋の野に、芒の穂が影絵のように揺れて、しなやかになびく。

まだ4時半だというのに、見る見るうちに陽は西に傾きはじめる。

その光を受けて影長くゆれる芒の佇まいは、私に少しのさび

を感じさせる。

秋草のなかでもいちばん好きな芒。



      


鋭い青い葉からまだ若い穂が風になびく姿は、美しい。

ぱらっと散った若い穂のなかに、銀の穂がほわほわっと、

あちこちでそよいでいる光景は、一層秋を味わいのに

してくれる。

家に帰って、

「芒がしなやかに揺れてきれいだったよ」と夫に話すと、

すました顔で、「あなたはすでに、枯れススキ?」ですって!








今日の一曲は、
チャイコフスキー作曲「交響曲第6番 ロ短調」です。


クレンペラー フィルハーモニア管弦楽団

チャイコフスキー:交響曲第6番


        
 庭の手入れをしていても、道草が多く、ついこんな可愛い

 友達と、あそんでしまいます


どこへ行くのにも歩くのが当たり前だった子供の頃、学校へ

往復や、学校から帰って、一時間もかかって、友人の家に遊び

に行く途中の楽しみは、道草でした。冬だったら、焚き火にあた

て手を温めたり、夏はスイカ畑に入って叱られたり、蛇を棒で

ついて遊んだり、小川があれば魚を追いかけたりと、今から思

と、知らず知らずのうちに自然の草花や、虫やら、魚やら、四季

折々に遊びの中からいろんなものに出遭いながら、自分の世界

が広がっていったように思います。


道草といえば、本の中でも、とてもいい出合いをしました。

今から10年以上も前、大庭みな子の連載(小学館、月刊誌)、

「雲を追い」のなかで、、、。「辞書を引きながら、探している言葉

の前後に目についた言葉が別の角度から近づいてきて、目的か

ら脱線してそれをまた愉しむことが多い」と、辞書を引く楽しさに

ついて述べてあり、そのことを「言葉の道草」と表現されていた

で、私はさすが小説家、と感心したことがあります。


    


その後、大庭みな子の「言葉の道草」という言葉について、小学

館の読者蘭宛に、自分の思いを書いて投稿しました。それから3

8月号に、私の投稿記事が本の巻末に載ったときは、ほ

驚きました。それ以後投稿には縁がなくなりましたが、小

さなの中で出合った心に残る一つの言葉が、私にとっては、忘

られい、「人」と「言葉」との出合いになったのです。


私と大庭みな子さんを結びつけるなんて、そんな失礼なことは、

思いもつかないことですが、でも、一つだけ共通点があるとすれ

ば、辞書引くことが大好き、ということでしょうか。

目的の言葉に行き着くまでに、目についた言葉の意味を噛みし

りしながら、ページをめくるワクワク感、ドキドキ感は、言葉では

表せないほどの快感なのです。







     

道草という言葉に、サティを思い浮かべてしまいました。

サティの、3つのジムノぺディを聴きながら・・


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    コスモス
   


  見た目はなよなよとして、「嫋々(じょうじょう)たる美女」を

  思わせる、コスモスの花。

  道端で、なにげなく、空にむかって高く高くゆれる風情は、

  茎や葉のか弱さから、清らかな花のイメージを抱く。

  そのイメージと共に、強い風に吹き倒されても、折れなが

  らも、初秋から初冬まで、延々と咲き続ける生命力に、

  したたかな花のイメージも重ねたい。

  羽飾り、装飾の意味を持つコスモスの花。

  「心の中に飾ってみたい」そう思わせる可憐な花びら。

  コスモスは、心の中に咲かす、ときめきの花なのです。






秋も深まると静かな曲が聴きたくなります。

今日聴いたCDの中から、ショパンの夜想曲(Nocturnes)を

アラウのピアノで。


ショパン:ノクターン集

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夕方用水路のそばに立って

ただぼんやりと

目の前に広がる空を眺めていた

ただぼんやりと

たった一言「わー、綺麗な空」

それだけでじゅうぶん

ただぼんやりと・・・・。





すぐに家に帰って、武満徹の音楽が聴きたくなったので

何曲か聴いてみました。

その中でいいなあ、と思ったのは「アステリズム」です。


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昨年、見事に抜き取られた水引草。

今年はもう見れないかも?と心配していましたが、

控えめながら、庭のあちこちに、秋色を添えています。

秋は静寂を取り戻す季節。

この水引草が咲き始めると、我が家の庭にも

落ち着きが戻ります。


   好きな花を一つだけと、問われれば

迷わず水引草と答えるでしょう

スススーとのびた穂に

   小さな赤が 奥ゆかしい

いく重にも折りかさなった心の襞に

そっと秘めておきたい喜びの花



画家、香月泰男が素晴らしい水引草の絵と、短い言葉を

残しています。ここに紹介します。


      



     秋の色は赤 赤は秋が美しい


    まんじゅしゃげの赤 ほおずきの赤


    柿の赤 ざくろの赤 水引草の赤


    みそそばの赤 かえでのあか 赤は秋だ

                         (絵と文、香月泰男)


                        






今日の一曲は、モーツァルト作曲、ロンドイ短調です。

モーツァルト:ロンド イ短調

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      曼珠沙華


もう遅いのではという感もありましたが、きのう、やっと彼岸花を

ことができました。田んぼの畔は、稲刈りの準備の真っ最

綺麗に刈られた畔に、彼岸花の赤だけが、スーと茎を長く伸ばし

て、まっすぐに立っていした。


彼岸花、曼珠沙華、古くはいちしと、呼ばれていたそうです。

でも、私は「赤い花なら曼珠沙華」と歌にも唄われているよう

に、沙華という名が、この花にはいちばんぴったりしている

ように思て、普段から曼珠沙華と呼んでいます。

子供の頃、この花を家にもって帰るとよく両親に叱られました。

墓地に咲く不気味な花とか、球根が有毒だとか。

先入観とは、おそろしいもので・・・


大人になって知ったことですが、有毒どころか、先人達の知恵

が詰まった、とても貴重な球根だとわかりました。

球根は水にさらして澱粉をとり、飢饉の時の非常食として、田の

畔に植えて、保護された植物だということを知りました。


、「いちし」と呼ばれた曼珠沙華。

萬葉集には、この歌一首のみに詠まれています。


  道の辺(へ)の いちしの花の いちしろく

   人皆知りぬ 我(あが)恋妻は (柿本人麻呂)


「私とお前が深く愛しあっていることは、あの燃えるように人目を

引く、路の辺のいちしの花のように、もう世間の人々に広く知れ

わたってしまいましたよ」、という意味の歌だそうです。


この歌一首しか詠まれていないということは、やはり萬葉人もこ

の赤花を、忌み嫌っていたということなのでしょうか。

そのなかでも、柿本人麻呂は、そういう先入観にはこだわらな

だったと、いえるのかもしれないですね



     彼岸花



遠くからでもぱっと目に飛び込んでくる華やかな彩の曼珠沙華

咲き方は独特です。真っすぐに見入ると、とてもモダンな花だ

とわかります。のび立った茎の先に小さなゆりのようなが花開

くと、花びらの曲線美しさは格別です。華やかであって、少し

切なさをも、醸しだしています。

見れば見るほど、艶やかな赤。

「曼珠沙華」は梵語で「赤」または「天上の華」と言う意味を持

つ天地荘厳の花。


不気味な花のイメージを持ちながら、日本人は、この花が決して

嫌いではない、むしろそれゆえに、心ひかれる花なのだと思いま

す。花は花のみ、ほんとうの美しさを素直に味わうには、自分の

目で見て、その花と、真の出会いをすることではないでしょうか。


今では、いけばなでもあちこちに飾られ、活けるのセンスで、

どのようにでも生かされる曼珠沙華、日本ばかりなく海外で

も、人気のある園芸植物として、毎年球根がたく出されてい

るということです。







今、浅川マキの歌を聴きながら書いています。

ちょっと有毒?と先入観を持つ人もいる???

でも、私はそんな淺川マキが、若い頃から大好きなのです。

昔、レコードで彼女の歌を何回も聴いていたことなど思い出

しながら聴いています。

確か、彼女は「港の彼岸花」という歌も歌っていますが、

このCDには入っていません。


DARKNESS1 (←クリック)

淺川マキ

JAZZ VERSION





薔薇 プリンセス・モナコ
      雨の日のプリンセス・ド・モナコ


人間の顔も正面から見る表情と横からの表情が違うように、花に

同じことがいえると思います。

今朝庭に出て、雨に濡れるプリンセス・ド・モナコの横顔があま

にも美しいので、見とれてしまいました。


この薔薇が、花びらを一枚一枚ゆっくりと開いていく姿は、音楽に

譬えるなら、聴き取れないほどのピアニッシモ、なんともいえない

静けさが漂っているのです。

間のとり方の美しさ、余韻、余情の美しさとでも言うのでしょうか。

生まれながらにして綺麗なポーズのとれるプリンセス・ド・モナコ

立ち姿は、女優グレイス・ケリーの名にふさわしい、匂い立つ

ばかの美しさです。


多分、今朝の私が特にそう感じたのかも知れませんが、季節、季

節で違う表情を見せてくれるプリンセス・モナコ、同じ薔薇なのに、

見る人の情感によって、こんなにも花の表情が違ってみえるも

のでしょうか?







今日の一曲は「白夜のアダージェット」から

「セーテルの娘の日曜日」です。作曲者のオレ・ブル、はじめて

聞く名前だったのですが、とても気に入っています。


白夜のアダージェット~北欧管弦楽名曲集

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    2007 9 27 赤い月



おとといのことです。久しぶりに夕方、急に思いついて散歩に出る

と、いつもの歩道はすっかり秋色に染まっていて、稲穂がよく

をたれていました。

土の匂いや、夏草の枯れた匂いがなんだか新鮮。

「ああ~いい匂い」とばかり、胸いっぱい息を吸い込みながら、西

空を見上げると、山の端にうす茜を残しながら、あたりはあっ

う間に夕闇に包まれはじめたのです。


ふと東の空に目をやると、今沈んだばかりの太陽と見まがうばか

の大きな赤い月が、だんだん濃くなっていく夕闇の空にのぼっ

くのが見えました。刻一刻と移ろっていく大自然、ぼんや

している間に一日は知らずしらずに過ぎていくのだと、しみじみ

知る思いでした。


  暮れぬめり。いく日をかくて過ぎぬらむ。

  入相の鐘に、つくづくとして (和泉式部)


気がついてみると、今日も暮れ方になってしまった。思えば、幾日

をこうして過ごしていくのだろう。折から打ちだす入相の鐘に、つく

づくとわが身のことを思うことだ・・・


入相の鐘とは夕暮れにつく鐘、晩鐘のことだそうです。

何もしないまま今日も日が暮れてしまう、いにしえ人でなくても、

我が身を、夕暮れのもののあわれと重ねて考えることは、よく

こと。秋に限らず、夕暮れは、なんとなく物悲しさが忍び込時刻

もしれない。





     薔薇 マウンド・ジャスター
    弱々しく、ホンワカと咲く、マウンド・ジャスター


積読ばかりではと思い、久しぶりにパラパラとめくった本の余白に

次のようなメモ書きが残っていました。


1994, 4/24 、捨置記・・・いくら考えても答えの出ない問題は

捨てておきなさい。


読んでいる本の余白に、その時思いついた言葉や、その日聴い

音楽をメモする癖は昔からあったのですが、あの日、あの時、

を考えて、「捨置記」と、メモしたのか?

いくら考えてもあの頃の私には戻れない。


本を閉じてぼんやりと庭に出ると、風にのってどこからか甘い香

りが漂ってきました。

2~3日前に花開いた薔薇、マウンド・ジャスターうっとりす

な濃厚な香りでした。私はどちらかと言うと、ほんの一瞬香

薔薇の匂が好きなのです。


ほんの一瞬・・・。

悩みも、迷いも、苦しみも、一瞬で通り過ぎる方がいいのかもしれ

ない。考えすぎて、塩をかければ溶けてしまうナメクジのように、

えてなくなりたいと思うこともないのだから。

偶然にも開いた本の余白の言葉に、救われたような思いが・・・


甘く香る薔薇を眺めながら、いろんなことが頭をよぎる。

その時、どこからともなく「いま苦しいと思うことでも、日にち

薬、くよくよしないの」と、楽天的に生きた母の声が聞こ

ような気がしたのです。







きょうの一曲は、同じ日付けで余白の右ページにメモしていた曲、

シューベルト「セレナーデ」を今夜はヘルマン・プライで。


シューベルト:白鳥の歌(全曲)/プライ(ヘルマン)

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薔薇(葉)カトリーヌ・ドヌーヴ
     ばら、カトリーヌ・ドヌーヴの新芽に光る水滴



目に見えるともなく移ろう四季、一雨ごとに秋も深まり、、とか申し

ますが、一雨ごとではなく、昨日の雨で、一夜にして秋が、、、、

今朝、庭に降りてみるとひんやりとした風が吹きぬけて、猛暑に

耐えた花たちも、ほっとしたのか、次々に薔薇が蕾をつけはじめ

ています。


「気難しやさん」と呼んでいる薔薇カトリーヌ・ドヌーヴに新芽

やっとでました。10年目に花をつけたという話は、昨年、8月

グに書きましたが、あの日喜んだのもつかの間、たった20cm

に大きな花を咲かせてしまったせいでしょうか、冬には枝が

10cmいになってしまいました。


もう駄目かな?、でも一縷の望みをかけて、根元に新鮮な空気を

入れるだけにして、静かに見守ることにしました。

私の期待もむなしく、春になっても芽は一向にでてきません。

それどころか梅雨の雨で風前の灯・・・

この夏の猛暑にはたえられそうもありません。もう諦めかけて

したが、それでもと思い直して、祈る気持ちで、一握りの肥料を

施して、そっと見守っていると、9月の半ば頃、今にも折そうな

枝から小さな芽がのぞいているではありませんか。


待って、待って、待って、待つ喜びってこのことを言うのですね。

もう少しで蕾がつきます。でも、木に負担をかけないためにも咲

かせないことましょう。

潔く蕾は摘み取る!来春、カトリーヌ・ドヌーヴの名ない

美しい花を咲かせるために・・・。


それにしても、あの若きカトリーヌ・ドヌーヴ達は今年の春、美しい

花を咲かせたのでしょうか???

気になって仕方ありません。







きょうの一曲は、

チッコリーニのピアノでサティの「風変わりな美女」です。


チッコリーニ(アルド), サティ
サティ:ジムノペディ(ピアノ名