左膝を軽く曲げた状態から可動域いっぱいの範囲で曲げたり伸ばしたりする運動を繰り返してみると、関節が動くのと同時に膝の骨の一部の骨が飛び出したり凹んだりする動きをするので明らかに不自然だと思っていましたが、立ったり座ったりする運動の動作をした場合、膝の関節周囲に力を入れた瞬間に鋭い激しい痛みを強く感じる症状は自覚していましたが、膝の骨の上に小さな骨の塊がもう一つ載っている病態を外骨腫という良性の腫瘍の一種だと知ったのは、総合病院の整形外科を受診してお医者さんから説明された時だった。
放っておいても少しずつ大きく成長していくわけじゃないし骨の塊を指で押してみても堅いだけで変化も見られないけど、関節の可動域いっぱいに曲げ伸ばしできるのが正常な関節の運動の動きなんだけど、おそらく載っている骨の塊の下面は膝関節と節してしまっているので一定の角度まで曲げ伸ばしする運動が進んでくると正常な運動を邪魔して制限を加えてしまって鋭い激しい痛みを出したり曲げ伸ばしを繰り返した場合は間接を酷使するので熱を出す炎症の症状を合併して出してしまっている症状が出ていたのを自覚し始めたのは社会人の新米で育成期間中に標的の対象にされていた後輩いじめをリアルで体験していた時だった。

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育成期間中は無理して間接を動かす運動を強要や強制されていたので炎症症状が強く出てしまっている状態に変わってしまったので、患部に冷たい冷えるシップを貼って処方されたお薬を真面目に飲みながら翌年の入院する日を待ちました。入院する前日までは完全に暇になって自由に時間を使える生活を楽しんでいましたが、膝周囲の炎症症状に伴う不愉快な症状は楽になりませんでした。

年が変わって診察に行って画像を見ながら手術の説明を丁寧に説明していただいて帰ってきました、一週間入院して歩けるようなら退院した後歩いて通って外来で経過を見ながら抜糸できるよと軽く言われてたんですが現実は違ってました。

テレビは見れないので使い捨ての予備の乾電池を持って携帯ラジオを持って他の荷物と一緒にまとめて車に載せて病院にに行きました、ナースステーションに行って看護婦さんの偉い人に挨拶した後、手術する前なので個室に案内されたんですが一人で動かないで欲しいと丁寧言葉で言われたのを鮮明に覚えています。
一人で動いてしまって仮に転倒した場合、後出しで管理責任を追及されるからなんでしょうけど、白い杖を使えば歩けますと言って見えを張って世間体を整えてみたのですが廊下の壁の端に杖先を軽く当てながら歩けば共同トイレにも行けるんでしょうけど廊下の壁際には器具や道具や人や物などが混在している場合が多いので白い杖を振り回しながら一人で歩行するのは危険なんですけど危険だという事実を知らなかったんですよね。
荷物を棚に入れて看護婦さんが言われる指示を真面目に聴く方針で入院生活が始まったのですが、初日は所定の書類を書くのを家族に代筆してもらいながら秋刀魚の塩焼きと赤味噌のお味噌汁とサラダと御飯がお盆の上に載せられて運ばれてきましたので夜ご飯を美味しく食べて、お気に入りのいつも聴いている夜のラジオ番組を聴きながら落ち着いて眠れました。

手術当日は病室で手術する前の準備が午前中から始まって絶飲食が原則なので医師に対面して軽く雑談した後に手術着に着替えて長い針の点滴の針を右腕の血管に刺されて「お昼から手術しましょうね」と優しく言われて軽く肩をたたかれました。
開始時間の少し前になる時刻に病室で寝ていたベッドからストレッチャーに移されて乗せられて病棟の病室から手術室の方に運ばれた後、ストレッチャーから狭い手術台に移されました。
左腕には自動で血圧を測定する機械のマーシェっとが巻かれ、指にはクリップを装着されて準備が整いました。
看護婦さんや医師に囲まれて色々な人の声が周りから聴こえてきます、「横向きになって蝦のように丸くなりましょう」と麻酔科の医師に言われ指示に従いました。
背骨の間の脊椎間に針を刺して麻酔のお薬を体内に入れました、膝を手術するので腰から足を支配する神経を麻痺させて痺れさせる必要がある腰椎麻酔の局所麻酔が効いた後に、患部以外が見えないように薄い敷物で隠して手術が始まりますが針を刺した後にお薬が体内に流れ込むのと同時に温かくなる感覚を最初に感じた後、少しずつ暖かい感覚が熱い感覚に変わって細い繊維の毛の器具で腰から足の領域を皮膚の上から軽く擦られると感じていた感覚が領域全体に広がっていって痺れているのと同じ感覚に変わっていきました。
上向きに姿勢を変えて、心電図の波形の波を音で表示している規則正しいリズムの音と自動血圧計が定期的に血圧を測定する目的で左腕を締め付けたり弛めたりする感覚を一緒に感じていました。
皮膚を切開されて止血して血管を縛った後患部を見えるように出して関節の動きを邪魔している骨の塊をたたいて削りますねと言われた後で手術が始まりましたが、局所麻酔で意識は声明で会話や音は聴こえているけど腰から足の方は痺れているのと同じなんですが、皮膚を切開する時も骨を削る時も痛みは一切感じないのですが器具で触られているのは感じましたしたたいて骨を削る衝撃と音は凄まじく凄いです。
手術時間は麻酔の導入を含めて一時間半くらいでcdを持ってくれば手術室で再生しますよと言われていたのでいつも聴いているクラシックのディスクを持っていきましたのでお気に入りの音源が手術室内で流れていたし丁寧に親切に扱ってくださったので不安は募りませんでしたし感じませんでした。
骨を削って切開した傷口を縫合して閉じて手術は終了したので点滴以外の器具は取り外した後で手術台からストレッチャーの方に移されて手術室を出て、術後レントゲンを撮りにレントゲン室の方に移動していきました。
麻酔が切れていなくて痺れているのと同じで腰から下の感覚を感じなくて力が入らなくて自力で体を動かせないし尿意も感じない状態でしたが、膀胱に管を留置しておいて尿を自動的に排泄する管は挿入されていない状況でした。
移動は数人に協力してもらって体を動かされて行われた後で病室まで帰ってきましたが、下半身麻酔の影響で不用意に体を動かした場合は下半身から頭の方にお薬が移動して強い頭痛を引き起こす恐れがあるので不用意に動かないでくださいと術前と術後にも繰り返し言われていたので、安静にしたままの状態で点滴の状態を代わりに家族に見てもらいながら看護婦さんの指示に従って動いていました。
麻酔の高価が少しずつ切れてくるのと同時に強い痛みを感じ始める時間の方が長くなってきたので、ナースコールを押して状態を伝えて座薬をもらって入れてもらった後は一時的に楽になりましたが、発熱して高い熱が出たら座薬を入れて熱を下げて平熱に戻るけど同じ状態が再燃して復活してくる状態を繰り返す毎日でした。
朝の回診の時に切開部を診ていただいた後に消毒などの必要な処置を行っていただくのと、理学療法士さんにリハビリを行っていただくのと定期的な検温や聞き取り調査の質問に答えるのと出されてる食事を完食するのが入院患者のお仕事なんですが、決められている方針に素直に従いながら決まりを守って生活するのが原則なので整形外科の場合は制限が緩くて回診が終われば病院に隣接されている小さな喫茶店に行って患者同士が集って交流して雑談しながら時間を潰して過ごしている人の方が多かったんですが、回復していく状態は人それぞれですし患者の場合は目が見えなくて一人で歩いて移動できない状態だったので、隣に入浴中に滑って転んで転倒して大腿部頸部骨折で手術を控えた男性が新しく入院して来られてお菓子ばかり家族に差し入れてもらって出されてる食事を食べないので若い看護婦さんに叱られていましたが、同室で他人様と一緒に部屋を共有しなければならないのが入院患者の大きなストレスだと感じる方も多いと思いますが、他人同士ですから自己紹介の挨拶をした後で仲良くなって仲間意識が簡単に作れていた空気を大切にされていたので、認知症の患者さんや付き添いの完全な自己中心的でしか無い物言いや態度を示される人は例外扱いですけど仲間意識の結束は強かったですね。
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一週間の予定が一カ月に延びてしまいましたが、個人の病院を紹介してもらって退院した後数か月自宅からリハビリに通った後、無事に職場に復帰できました。
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見えを張ったり世間体ばかり気にして飾った物の言い方をしないで不器用で下手でも気持ちを正直に伝えていたのが良かったと思うし、一人前ではない未成熟でしかない新米を見捨てないで将来を期待して置いてくださった師匠の恩情には感謝の言葉しかありません。