母校の方針は、専門科目を学ぶ学部は除いて、小 中学生の間は、どうせ目が不自由なんだから何もできるわけがないんだから決まったお勉強だけ教えておいて取り組みたい事があっても面倒くさいだけだから試させないという考え方の方が楽なんだけど、希望者が出た場合は可能な限り実現する方向で動いてあげようという考え方をされる先生や協力してくださる生徒さんの方の数が多かったので、障害という壁があっても自然に背中を押してもらえる雰囲気だったので、自分の意思で挑戦もしないし頑張って取り組まないと意思表示している人は強要も強制も他の人はしなかったんですが、無理だろうと諦めていた事でも実現させていた人はいました。
お茶やお琴なんて見様見真似で見ていないと形にならないと思われるでしょうけど、週に一回ずつ作法室というお部屋で習っている人は多かったです。
お琴の場合は、張られた弦を右手の指先の琴爪で弾きながら左手で弦を押さえたりそのまま弾くと自然に音階が変わります、単一の視覚障害自動だけが練習に参加していたので、全盲で目が見えなかったり弱視で少し見えていても楽譜が読み辛い場合でも、耳で聴いてコピーしてしまえば目で見ているのと同じです。
個人の難易度に合わせて数人ずつしか練習できないので、一つのお部屋に練習する生徒と指導する先生、順番を待っている児童が空間を共有しているので、練習を邪魔しないように神経を使わないといけないんですが、順番を待っている生徒の方が多くて先生から「邪魔しないように静かに」と叱られているので分かっているはずなんですが、児童数が多くて声が大きくなっていく子が多かったので時々練習を中断させてしまっていました。
児童の方はメロディーの方を、先生の方は伴奏の方を弾くのが基本なんですが、音楽が得意な上級生のお兄さんは難易度が高い課題に挑戦していて二つの音が重なるととっても綺麗に聴こえました。
誰でも知っていて歌える童謡や音楽の教科書に載っていて皆で歌った童謡がお琴で弾けた時は、完全な自己満足なんですが達成感を感じて充実した気持ちになりました。
文化祭でも部活動の方の作動部がステージ発表で演奏の披露や、模擬店のバザーでチケットを発券してお茶を出していました。
自分の祖父はお茶を趣味にしていて土曜日の夜に妹や従妹のお姉ちゃんが祖父に教えてもらっていたので茶菓子を食べてお茶を飲めるのが楽しみで毎週祖母のお家に行っていて味に慣れていたんですが、先生から希望者はいませんかと提案された時に、自分の他に数人が手を上げたので、練習に必要な物と茶菓子のお金は個人負担して火曜日の授業後に1時間くらい習いました。
一杯のお茶を作って出す人の側と出されたお茶をいただいて飲むお客さん側の両方の作法を覚えないといけないんですが、最初の間は繰り返し繰り返しいただく側の一連の動きをを言葉で最初に説明してもらいながら実践して覚えます。
詳しい動きの記述は割愛しますが、視覚障害があるから特別扱いはされなくて本格的な指導だったので星座の状態から立って移動したり元の位置に戻って座るの繰り返しだったので、足が痛くなったけど毎月お菓子の内容が変わるので少し緊張したけど楽しみもありました。
お菓子は講師の先生の方で選んで買って出していただいていたと記憶していますが、お茶は苦いからとか足が痛くなるからもう嫌だと言って脱落する子も出ないまま1年間受講できたのは良かったです。作る場合は、お盆の上には必要な物が並んでいて触りながら物の名前と役割を覚えていきます、蓋つきのお茶の粉を入れておく丸井容器、お茶の粉を掬う道具、適量の粉と熱湯をお茶碗の中で均一に混ぜ合わせる道具や茶わんなど…。
基本的な動きを覚えたら、一人が作って出す側で数人がいただいて飲む側に分かれての練習に進んでいきます、先生の指示で動かないと接触して危険だし事故が起こってしまうので、盲学校では勝手に動いてはいけないというのはお約束になっています。
見えない人は周囲を見ながら動けないので動いた結果危険や事故を招く原因を作ってしまう場合は多いし、少し見えている人も晴眼者と比較すると見るという機能は劣っています。
茶碗に適量の粉を入れて熱湯を上から適量を追加して均一に混ぜて出すのが基本なんですが、適量は目で見て判断する必要が出てきますし熱湯を扱いますから先生は作る子供の後ろ側から軽く手を添えて動きを補助します、粉を適量掬うのもお湯を上から追加して入れる動きも慣れない間は怖かったんですが、先生が補助してくださるので安心できましたし、一つのお茶碗を皆で共用して使いまわすので、空になったお茶碗をお水を入れて綺麗に洗う必要がありますが、神経を使っていますが正直現在の状況が分かり辛くて不安だったんですよね、使ったお茶碗を綺麗にに洗えてなくて汚れているままだったら出した人に失礼なんですけど、的確に現在の状況を解説してくださるので、言われたままに動くんじゃなくてどうするのが最適なのかを自分で考えながら動けました。
お茶菓子は少しずつ適当な大きさに切り分けながら綺麗に食べないと綺麗に見えなくて形を崩してしまう食べ姿はみっともない姿なんですが、適当な大きさに切り分けながら食べる動作は全盲の人の中にはハードルが高いと感じる人が多い動作なのかもしれません。
週替わりや月替わりでお菓子の内容が変わりますので、今日は何が食べられるのかが一番の楽しみで習う目的だったんですが、柔らかくて形が崩れやすいお菓子の方が多かったので、切り分ける動作を諦めて薄い紙で口元を隠しながら、お菓子が崩れてしまわないように直接お菓子に噛み付いて意識して少しずつ食べていました。集大成として希望者を招いてお茶を出すという目標を掲げて希望者は先生だったと記憶していますが交代でお茶を作って出して美味しかったよと言われたけど苦言は言われなかったので、社交辞令の意味で子供を褒めていなかったと信じたいんですが、成果は出たのではないのかなあと皆で自己満足して商学部を卒業する良い記念になりました。
講師の先生とお客様として希望してくださった先生には感謝していますが、僕らが卒業した後からは児童数が減っていってしまっていたので取り組みが継続されたのかは不明です。