「手は目の代わりで感触だけが命だ」と言われる全盲の方は多いと思います。全盲という重度の種類の視覚障害で目が見えない人の場合は、視覚を使えない場合は他の感覚で見えないという視覚障害のハンディーを補う必要が出てくるんですが、直接物に触れて見て感じる感触が鋭く磨かれて鍛えられてるという人は多いと思います。
感触が磨かれていたり鍛えられているのは、特別な才能ではなくて個人の努力や工夫が基礎になって獲得された感覚ですけど個人の能力には差がありますから一律ではありません。
見えないというハンディーを抱えて不自由な生活を送っている間に意識して後から少しずつ少しずつ獲得していって極められて鋭くなって磨かれた第6感だと自慢して誇れるくらい信頼できる感覚ですが、直接見るのと比較するとやっぱり劣ってしまうんですが、どんなに望んでも見えない目が見えるようになってスクリーンに像が写り始めて見るという機能が使えるようになるわけじゃないんだから、直接物に触るという動作を繰り返しながら少しずつ少しずつ見て感じる感覚を極めていってバージョンアップしてアップデートしていくしかないんだろうと思います。
目が見えない状態で直接物に触れて見て感じた後に判断を下している様を見てすごいという反応をされる方って今時でも多いと思うんですが、サーカスでご褒美をもらって芸を披露する動物じゃないんだから、正しく理解して欲しいなあといつも感じるんですよね。
直接言葉で説明しても伝えるのには限界があるので直接行動している様を見てもらうのが早いんですけど、すごいすごいと言って反応される方って何もご存じないのは承知していますが、ご自身が目を隠した状態で生活しないといけなくなった場合は嫌でも手を目の代わりとして活用しないといけない状況下に置かれるんですが、残念ながら疑似体験を試さない人というのはいつまでたっても正しく理解できないのは当たり前ですよね。
健常者で目が見えれば目を使いながら手を使いますが、全盲の人は目が使えないので手を主にして使うので行動も変わってきます。
一番分かりやすい例は、お皿に載った3角形のどこにでも売っていて買えるショートケーキを食べる場合、健常者の人ならケーキを目で見ながら少しずつフォークで食べる大きさにカットして切りながら食べられますから見栄えが良い食べ方なんですよね。
口うるさいくらい見栄え良く食べないと皆見てるんだから笑われるよと忠告されてきたのでフォークで食べられる大きさにカットするという芸当を試してみたんですが、残念ながら形が崩れてしまう方が見栄えが悪いと感じる方もおられるので…。
私流の自己流の食べ方なんですが、食べ物に直接手で触れる行為が不愉快だと感じる方は黙認して許容していただきたいです、触れる手の状態が清潔な場合は何ら問題無いと考えます。
本体に直接触れて保護しているビニールなどを取り除くんですが、保護用のビニールはしっかり本体に密着している場合が多いので、ビニールの切り口を探して切った後に、形を崩さないように優しく丁寧にビニールや底を保護している薄いフィルムなどは本体から完全に外します、保護していたビニールやフィルムなどは皿の片隅に置いておいて、寝ているケーキ本体の底を下にして立てた状態を作って、指先で底をつまんで頂点の方から少しずつ食べ始めた方が形を崩さないで綺麗に食べられるので見栄えは良いのではと感じますが、直接手で触れるわけですから汚れを拭けて常に清潔な状態に戻せる水分を含ませた濡れタオルでも傍に置いておいて汚れてるなあと感じたら手を拭きながら食べ進めればいいと思いますが、見栄えがいいとか悪いという感覚は人それぞれなので決まった正解など無いのではと思いたいのですが…。
寿司をお箸を使って食べる場合は、形を崩さないくらいの技量が必要になりますが、割り箸を使って寿司がどの位置に置かれていてどんな形なのかを探っている間に少しずつ形を崩してしまっていたようで、傍で見ていた家人に反射的に怒られた記憶が鮮明にあります。
自分は目で見ながら箸を使えるのが当たり前という考え方で生きていて、見ていてイライラしての配慮できない無神経な反応だと思うんですけど、この考え方の人にどんなに説明してもおそらく健常者都合の間違っていないごもっともな理屈の言い分を主張されるだけで、目が見えない者の説明など初めから尊重しないと思います。
箸の使い方の下手さを棚に上げて吠えたいわけではありません、寿司の塊に直接手で触れて食べた方が寿司に直接手で触れていて形や大きさなどの状態も簡単に把握できるんですから少しずつ少しずつ食べ進めていけば形を崩さずに綺麗に食べられるんですよという実践例を記事でご紹介しました。
黙認も許容もできないという人とは一緒に食事しない方がいいでしょう、イライラして毒を吐かれるだけですから。
あまりにも指摘する物言いが酷いので止めさせる目的で殺し文句で「だったら自分が目隠しして綺麗に食べられるか試してみれば…?」と言うと多くの人は黙ってしまって指摘するのを止めてしまうのは同じ事ができないと態度で示して言っているのと同じですよね。
誰が見ても明らかに見栄えが悪い笑いの対象になってしまう食べ方をするのは論外です、他の人から笑われているのを自分で直接見られないわけですし私のように生まれつき目が見えない者は後から誰かに指摘して注意してもらわないと気ずけない場合が圧倒的に多いし、どうせ見えないんだからと指摘しないまま育ててしまう親も多いんですよね。
身内や親族以外は言いにくい指摘をいう必要など無いわけですから黙って放っておいて陰で指を指して笑いながらひそひそ陰口を言って笑っていればいいわけですから何も言わない場合が多いと思うんですけど、黙って動画を撮られて無断で拡散されてしまう場合も出てくるので、お友達からの勇気ある指摘は怒らずに素直に聴いて受け入れた方がいいと思うんですけど、どうせ見えないんだからという考え方で育てられてしまった人というのは、勇気ある指摘も素直に受け入れられない場合の方が多いのは育て方を誤ってしまってたんですが、育ててしまった人は私的を繰り返して一緒になって改善するまでお付き合いして新しい感覚を後天的に獲得する作業を実行する寄り添った対応などされない場合の方が多いんですよね。
「自分だけ何故指摘されないといけないんだ!?、見える人に」と明らかに憤慨するような反応をされるので見栄えが悪いだけの姿を披露してるから他の人が笑ってたからだと理由を説明しても、自分は直接見えないのですから疑うんですよね。
最後は仲間外れにして放っておくという結論を出すしかなかったので可哀そうだったんですが、親御さんが心を鬼にして育ててくださっていれば良かったんですが、他人の私生活にまで介入して嫌われたくないので誰も介入しませんでしたし学校を離れてしまえば一人の独立した成人ですから誰も何も言わずに基本的に生き方や考え方を尊重するでしょうね。
あの人は同窓生の間では秀才だったけど人の指摘を真面目に聴かない人だったというだけで、どんな生き方をされようが私は知りませんと言う方が面倒臭くないし嘘を言ってるわけじゃないし楽なんですよね。
馬鹿にされている姿を直接見て事実だと確認できれば嫌でも行動が変わるんですけど、目が見えなくて見られないわけですから疑いたくなる気持ちも分かるつもりなんですけどね…。
真っ当なごもっともな指摘も言い方次第では新設の押し売りやごり押しにしかなってないと言われている方は感じます、後出しで指摘が善で正しいんだから何も言わずに従え的な物の言い方は内容が正しくてもとっても不愉快にしか感じません。
恥を披露させたくないんだったら家庭内で食事をする時に繰り返し繰り返し説明して躾けるべきなんですけど、躾けられてない状態で唐突に指摘を始められても言われている方は困惑するだけでしょう。