N e w  Y o r k B l o w -NYでもタコ焼きを焼く英国人へ- -42ページ目

伯父の友達

筑紫哲也さんが逝去された。
未だ子供だった頃、伯父に連れられて行った某新聞社。
そこで記者をしていたのが筑紫さんだった。
伯父に紹介して貰い簡単な挨拶をして、
「昼飯未だでしょ?」とジャケットを手に取り、
伯父と以前から話していた話題を話し始めた。

単に同行していた私は一緒に銀の塔でシチュウを鱈腹食べ、
その後話の流れで振られて、筑紫さんに質問をする事になった。
新聞での活躍を読んだり聞いたりしていたので、
聞きたいと思っていた事を聞く機会を与えられ、
私はこう聞いた。
「どうすれば、そんなに色んな事に興味を持ち続ける事が出来るの?」と。

それからン十年。
仕事でTBS報道に行った時、
既にニュース23を始めていた筑紫さんにたまたま会う機会が有り、
二人になった時にその時の話をしたら筑紫さんはとても驚くと同時に、
私がその場に居る事を喜んでくれた。

今でも伯父との付き合いは有るけど伯父は私の事を全く話していなかった様で、
「○○さんも水臭いナァ~、あの時の子がこんなに大きくなってるなんて...」と
未だあの時は白髪交じりのヘアスタイルで顔をくしゃくしゃにして、
ヤられたっ!ってな顔をして両手を頭の後ろで組んで笑っていた。

その後何度か会う機会は有ったが、
伯父が亡くなった時には忙しい中態々葬儀に参列して下さり、
色々と伯母にも心遣い頂き本当に嬉しかった。
時間が無いのを本当の意味で知っている私は知らせると同時に、
お忙しいのを承知していますから会葬は結構ですと断ったにも拘らず、
時間を遣り繰りして来て下さっただけでなく、
その後も心細くしていた伯母に手紙を出して下さっていた様で、
人間として心底嬉しく思った。

伯父が亡くなった後は縁が切れるかと思いきや、
思い出した頃に私に連絡を下さったり、大阪に来る時は電話が鳴ったりで、
その関係は私がこっちに移ってもずっと続いた。
芸術や音楽にも精通していた筑紫さんには色々教えて貰った。
特に絵や音楽、外報部・特派員時代の話を、色々聞くのが好きだった。

今すぐ駆けつけたいけど、今日、明日は生憎飛行機は満席。
せめて、私の祈りが届く事を願わずには居られない。
あの世で同じ所に黒子のある伯父と激論交わしてるかな。
今は悲しい気持ちで一杯だけど遠く離れたこっちで、
酷い現実を目にし乍らも遣れているのは、
筑紫哲也という一人の人間に幼い頃貰った素敵な言葉達を、
胸にしているからに違いないと言うのは紛れも無い事実だ。


合掌