N e w  Y o r k B l o w -NYでもタコ焼きを焼く英国人へ- -156ページ目

あの頃の曲

二週間前、ユーミンこと松任谷由実が先の万博で行った、
スペシャル・ライヴがオンエアされていたので、
ザッピングの合間にちょっと留まって見ていた。

彼女が自分の人生を振り返りながら、
『この時、こういう曲を作った』という事を振り返り、
公園らしき屋外の緑の中で別撮りしたVを、
ライヴ映像の合間に差し込んでその曲を装飾していた。

別撮りの屋外でのV中彼女は、
今回のスペシャル・ライヴで集まったパフォーマーが、
ディック・リー等のアジア圏の人達だった事を受けて、
アジアに関する事について語っていた所だった。

確かに彼女は日本人の誰もが見向きもしない頃から、
アジアに目を向け、そこへ訪れ、
その体験を糧にまた曲を書いて発表してきた。
子供だった私はそんな彼女のアクティヴさに惹かれて、
彼女の曲を積極的に聴くようになった。

そして画面から当時多分誰も作ってなかった4曲入りの、
ミニ・アルバムに収められていた曲が流れて来た。
(それもアルバムなのに45回転だったんだよね、これ)
その曲の一節にこういう歌詞が有った。


♪やせた年寄りは責めるように
 私と日本に目をそむける
  でも “RASA...RASA SAYANG GEH”
  そのつぎを教えてよ

  少しの英語だけがあなたとの
  架け橋なら淋しいから
  RASA SAYANG GEH♪



まだ子供の私は世界に目を向けるどころか、
自分の住む世界以外にどんな世界があるかをも知らない状態だった。
当時はまだ日本にはアジアに目を向ける人など少なく、
既に西洋に追い付き追い越している途中だった。
ユーミンはそういう意味では、
日本人の4歩も5歩も先を行っていたのだ。

子供ながらに私はこの歌詞を聞いて、
近代日本の占領政策に対しての強く感じる事となり、
教えを乞おうと電車に飛び乗り、
親よりも色んな事を教えてくれる伯父の家へ駆けつけた。

そして伯父は近代日本について色々と教えてくれ、
その後伯父はこれに関連する事を、
伯父よりももっとよく説明してくれるだろうからと、
政財界での経験豊富な方と話す機会を作ってくれたりして、
子供でも判り易く話して下さり、
私は如何に日本が『軸』を失った状態で、
世界に位置していたかを知る事となった。

この曲はアルバムには収録されておらず、
これまた当時誰も出していなかった(筈)4曲入りのミニ・アルバム、
『水の中のASIAへ』にのみ収録されていた。(今は違うかも)
子供の小遣いを貯めて買ったアルバム。
それ以来彼女を単なるラブ・ソングの女王としてだけではなく、
メッセージ・ソングの女王として私と伯父の心に焼きつけた。

そしてそれから20年以上経っていながらも、
その曲を歌い披露する事によって、
アジア各国の人々を再びひとつにしようと、
今この時代に強く発信し続けるユーミン。
今更乍らに彼女という存在の意義を、
改めて感じさせられる一瞬の出来事だった。



     水の中のASIAへ (CDで買えます)

    この時代にアーティストがアジア色を出すのも、
    敢えて和服を着る事自体珍しいのに、(呉服屋の娘ってのは除いて)
    それを女王ユーミンがする事自体型破りな事だった。
    これ以降日本人が観光や経済提携地としての、
    アジアへの熱が高まる切欠ともなった。

    裏ジャケにはジャカルタ(確かユーミンがそういってた)の、
    マーケットで撮影された写真には、
    クレジット文字を被される事無く一面に印刷され、
    ユーミンが現地で感じた『熱』を強く感じ取っている事が、
    間接的に力強く表されている。(クリックで拡大版が見られます)





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