物語を鑑賞するとき、その作品に入り込んで俯瞰している場合と、登場人物になりきる場合の二パターンの方法で楽しむ場合が殆どなのですが、子供のころ、キャンディキャンディを読むときは自分がキャンディになったつもりで読んでいた。
だからスィートキャンディごっこなどを一人でやってみたり、公園で拾った似ても似つかない光るエンブレムらしきものを王子様の落していったバッジだと思いこみ、宝物箱に大切にしまっていたり
なりきると言えば、「エースをねらえ」の岡ひろみにもなりきっていた。
当時はテニスに硬式と軟式があることも知らず、実家にあった軟式のラケットを持ち出すも、重くて振れず、仕方なくバドミントンのラケットにH・Oとマジックで書き、振り回してるうちに壁に激突、ラケットは折れて叱られるといった具合だった
他にも沢山好きな作品はあるけれど、この二作品については、主人公と一緒に成長するということを体現していたからか、いわゆる苦難に果敢に挑む主人公の設定が好きだったからか、
その精神性といえば聞こえがよい、昭和ガッツというか忍耐? みたいなものだけが今でも自分の中に残っている。
別に主人公でなくてもいい。ただ、キャンディキャンディの場合、自分がどのキャラに近いのか考えても、そもそも登場人物が少ないから、アニーか、パティかあとはイライザとフラニー位しかいなかったわけで、消去法でどうしてもキャンディになってしまう。
ちょっと元気な子供だったら全員キャンディだったのではないかと思えなくもない。
キャンディのことは大好きだし可愛いけれど、それでもこの年齢になってみると、アニーのように素直に甘えることができる女性はやはり愛らしいし、パティもそうだけれど、自分もそんなふわっとしたところがあったらよかったのにと改めて読んで思ったりした。
先日も単行本4巻を読んでいて、アニーの出生がイライザたちにばれるメイフェスティバルあとの事件後、病室からでてきたアーチーがキャンディに、
「ねむるまでそばにいてっていうんで」
「てれくさかったよ、シスターも変な目で見るしさ」
シスターがいてもこの言葉が言えるアニー。
年をとったからかこの状況は気恥ずかしい
二人だったら言えるかな・・・でも今となっては自分の性格ではできそうにない。
キャンディを想うアーチーも、押し付けられた感は否めないではないけれど、無下にはできない、こんなこと言われたら。
男性だったらこんな風に言われたい人のほうが多い気がする。
そして最終的には結婚するのだから二人はご縁があったということか...(おばさん目線 )
ところで、現実問題としてキャンディのような女性は男性からみたときどうなのだろう。
男性に聞いたことがないことなのだが昔から時々思っていたことだ。
キャンディはこの物語ですべての男性に好かれている不思議な状況。
ブログ主の場合、彼女になりきったことで、苦難を乗り切る精神や笑顔を忘れないことは学べたけれど残念ながらモテモテからは遠かったことは確かだった。
表紙: エースをねらえ、キャンディキャンディからお借りしました。