先週の連休中日の日曜夜8時を過ぎたころだった。
一か月半程前に「伯母のプチ家出」というどうでもいいといえばどうでもいい
、昔の思い出がふと浮かび投稿したのですが、その伯母が亡くなったという電話を受けた。
高齢だったものの活力ある伯母だったので、突然のことにしばらく言葉が見つからずただ電話口で話を聞いていた。
記事をUPした翌日に伯母は察したかのように半年ぶりに電話をしてきたものだから、そんなことを書くんじゃないと
叱られたような気がしたのですが、まさかそれが最後になるとは・・・
その時伯母を思い出したのも何か予知的なものがあったのかもしれないとさえ思えた。
留守電に至急とメッセージが入っていてそのあとすぐに折り返した電話には応答がないため、SMSを送っておいたのですが返信はなく、急ぎの要件ではなかったと判断した。実際その頃はまだ全くもって健康だったとのことだった。
もうかれこれ30-40年伯母の家には訪問していなかった。
母の実家の近くにある自然豊かな田舎に位置する伯母の家は交通の便が良くないことや、親戚付き合いが複雑なことから大人になってからは足が遠のいていたのだ。
ただ、この機を逃してしまったら訪問しなかったことを後悔するだろうという強い思いに駆られて、急遽翌日に日帰りで行くことにした。
そこは不思議なくらい昔とほぼ変わっていなかった。
それがあまりに不自然に感じられ、家々も若干新しく建設されたものはあるものの、殆どが古びただけで記憶の中の風景そのままだった。
伯母と同居する従弟夫妻は40年も来なかったのに、弾丸のように突然やってきた私のことをただただ驚いていた。
色々と話すうちに伯母が私に定期的に電話をかけて愚痴を言っていたことに話は及び、そのことに対して御礼を言われた。
そう、長年私はこの伯母からの電話が結構辛かったのだ。足が悪かった伯母は晩年家にいることが多かったため、話すことが楽しみだったことをよく理解していたのだが、
決まって仕事明けの土曜日にかけてきて、朝から長々と聞かされる愚痴は相槌を打つだけでも気分が沈んで翌週引きずることもあった。
それでもこうしてありがとうを家族に言われればわだかまりもすっと消えて、これでよかったのだと思えた。
少し休んでから家族が伯母が家に飾っていた沢山の家族写真を見せてくれた。すでに多くはセピア色になっている。
その中で一番目に留まったのは伯父と伯母がおそらく40代半ばころのものだった。
二人が寄り添ってはにかんで手をつないで笑っているもので、それは私が知る伯父と伯母ではなかった。
子供の頃は気づかなかったが明らかにそれは男と女の幸せな姿だった。
伯母が伯父との関係を大切にしていたことを考えると、あの家出も納得が行くことだった。
その後、母の実家から御呼びがかかり、そちらにも立ち寄ることになった。
すでに伯父は数年前に亡くなりそのお嫁さんである伯母が住んでいるですが、彼女から話がしたいから寄ってほしいと言われた。
その伯母もすでに足が悪く、やはり出かけることが儘ならなくなっており、私は恰好の話相手だったに違いない。
お墓の近くにはトトロの世界を想像させ林がまだ残っていた。
ご先祖のお墓がすぐそばにあるので、お墓詣りができたことは本当に良かったと思っている。
穏やかな性格のこちらの伯母は昔を懐かしんであれこれ話すうちに、最近昔好きだった人のことを頻繁に思い出すというのだ ![]()
長年会っていない姪の私にそんなことを話すこと自体も驚きでしたが、80代半ばになっても反対されて結婚できなかった元恋人がずっと心にあるとは・・・![]()
それは決して今までの人生が満たされなかった、幸せでなかったということではなく、その時のことを心の奥にしまって生きていくしかなかった、そのことをふと話したくなったということなのだろう。
今まで知らなかった伯母の一面を知ることは私の心を豊かにしてくれた、訪れて本当に良かったと思う。
しかし、私は恋愛について何かしらのオーラを放っているのか
・・・このところこの手の話を聞くことが多い。
が、一番の衝撃はこの母の実家ではまだ五右衛門風呂を使っていたことだった ![]()
子供のころ訪れる度、薪に火をくべたり、一番風呂で底板を湯舟に落とすことを楽しみにしていたトトロのような生活をまだ続けているわけですが、一体今はどのくらいの人がこの五右衛門風呂を使用しているのだろう。
やはり時間の流れ方が東京にいる自分とは違うのかもしれない。それでもどちらが幸せかはそれぞれが決めることだ。
とりあえず今になっても数時間滞在の弾丸ツアーの疲れが取れず、年をとったものだとつくづく実感した今週でした![]()
ここまでは古くないけれど、父の実家はこれに近いものだった。

















































