bleu-vert-et-bleuのブログ

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好きなもの、マイブームなどを思いつくまま綴るブログ
今の一番のマイブームはキャンディキャンディ!

好きなことは
絵を描く、展覧会、漫画、アニメ、ギター、読書、旅行、映画、食べることなどなど

先週の連休中日の日曜夜8時を過ぎたころだった。

一か月半程前に「伯母のプチ家出」というどうでもいいといえばどうでもいい真顔 、昔の思い出がふと浮かび投稿したのですが、その伯母が亡くなったという電話を受けた。

高齢だったものの活力ある伯母だったので、突然のことにしばらく言葉が見つからずただ電話口で話を聞いていた。

記事をUPした翌日に伯母は察したかのように半年ぶりに電話をしてきたものだから、そんなことを書くんじゃないと 滝汗 叱られたような気がしたのですが、まさかそれが最後になるとは・・・

 

その時伯母を思い出したのも何か予知的なものがあったのかもしれないとさえ思えた。

留守電に至急とメッセージが入っていてそのあとすぐに折り返した電話には応答がないため、SMSを送っておいたのですが返信はなく、急ぎの要件ではなかったと判断した。実際その頃はまだ全くもって健康だったとのことだった。

もうかれこれ30-40年伯母の家には訪問していなかった。

 

母の実家の近くにある自然豊かな田舎に位置する伯母の家は交通の便が良くないことや、親戚付き合いが複雑なことから大人になってからは足が遠のいていたのだ。

ただ、この機を逃してしまったら訪問しなかったことを後悔するだろうという強い思いに駆られて、急遽翌日に日帰りで行くことにした。

そこは不思議なくらい昔とほぼ変わっていなかった。

 

それがあまりに不自然に感じられ、家々も若干新しく建設されたものはあるものの、殆どが古びただけで記憶の中の風景そのままだった。

伯母と同居する従弟夫妻は40年も来なかったのに、弾丸のように突然やってきた私のことをただただ驚いていた。

色々と話すうちに伯母が私に定期的に電話をかけて愚痴を言っていたことに話は及び、そのことに対して御礼を言われた。

そう、長年私はこの伯母からの電話が結構辛かったのだ。足が悪かった伯母は晩年家にいることが多かったため、話すことが楽しみだったことをよく理解していたのだが、

決まって仕事明けの土曜日にかけてきて、朝から長々と聞かされる愚痴は相槌を打つだけでも気分が沈んで翌週引きずることもあった。

 

それでもこうしてありがとうを家族に言われればわだかまりもすっと消えて、これでよかったのだと思えた。

少し休んでから家族が伯母が家に飾っていた沢山の家族写真を見せてくれた。すでに多くはセピア色になっている。

その中で一番目に留まったのは伯父と伯母がおそらく40代半ばころのものだった。

 

二人が寄り添ってはにかんで手をつないで笑っているもので、それは私が知る伯父と伯母ではなかった。

子供の頃は気づかなかったが明らかにそれは男と女の幸せな姿だった。

 

伯母が伯父との関係を大切にしていたことを考えると、あの家出も納得が行くことだった。

その後、母の実家から御呼びがかかり、そちらにも立ち寄ることになった。

すでに伯父は数年前に亡くなりそのお嫁さんである伯母が住んでいるですが、彼女から話がしたいから寄ってほしいと言われた。

 

その伯母もすでに足が悪く、やはり出かけることが儘ならなくなっており、私は恰好の話相手だったに違いない。

 

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お墓の近くにはトトロの世界を想像させ林がまだ残っていた。

ご先祖のお墓がすぐそばにあるので、お墓詣りができたことは本当に良かったと思っている。

穏やかな性格のこちらの伯母は昔を懐かしんであれこれ話すうちに、最近昔好きだった人のことを頻繁に思い出すというのだ 滝汗

長年会っていない姪の私にそんなことを話すこと自体も驚きでしたが、80代半ばになっても反対されて結婚できなかった元恋人がずっと心にあるとは・・・真顔

それは決して今までの人生が満たされなかった、幸せでなかったということではなく、その時のことを心の奥にしまって生きていくしかなかった、そのことをふと話したくなったということなのだろう。

 

今まで知らなかった伯母の一面を知ることは私の心を豊かにしてくれた、訪れて本当に良かったと思う。

しかし、私は恋愛について何かしらのオーラを放っているのか 真顔・・・このところこの手の話を聞くことが多い。

が、一番の衝撃はこの母の実家ではまだ五右衛門風呂を使っていたことだった 滝汗

子供のころ訪れる度、薪に火をくべたり、一番風呂で底板を湯舟に落とすことを楽しみにしていたトトロのような生活をまだ続けているわけですが、一体今はどのくらいの人がこの五右衛門風呂を使用しているのだろう。

やはり時間の流れ方が東京にいる自分とは違うのかもしれない。それでもどちらが幸せかはそれぞれが決めることだ。

とりあえず今になっても数時間滞在の弾丸ツアーの疲れが取れず、年をとったものだとつくづく実感した今週でしたショボーン

 

ここまでは古くないけれど、父の実家はこれに近いものだった。

 

描く人、安彦良和 展

 

 


毎月読んでいる芸術新潮、図書館でまず読んでよかったら買うというスタイルなのですが、借りる前に即購入した昨年半ば。



いつ来るんだろうと調べてみれば、え?東京には来ないんかい??滝汗

ああ、やっと来るんだ よだれと知ったは今年の春ごろだった。さっさと行っておかねばと休みが取れた本日出かけた次第です。

松濤美術館を訪れるのは1年数か月振り。前回は中原淳一展で訪れました。

 

住宅街にある品のいい小さな美術館です。


いつもは神泉駅から、帰りは歩いて渋谷駅行くのがてっぱんコース。

この展覧会、1000円でお財布にやさしいのもいい照れ

 

平日午後一で行きましたので混雑なく見られたのがよかった、平日はやはりいいですね。


同世代、または少し年上の男性方々が多かった印象ですが、何だかほっとしました。皆様、それぞれに懐かしいんだろうなあと照れ

撮影できるのは入口前のいつくかだけです。

 

2F

B1

これだけですね、撮影が許可されていたのは

まず安彦さんの子供時代のノートに書かれたイラストがうますぎて、同時に、ああ、こういうの描いている男の子、クラスにいたなあと何だかとても懐かしくなり、

松本零士展の時と一緒でお子さんを抱いた私生活で見せる若い頃の姿が何とも新鮮で微笑ましく、これから日本のアニメ/漫画界で活躍しつづけることになるであろう昭和の若者の小さな幸せが感じられた。

 

誠実だったのだろうなあ・・・慎ましい生活の中で生み出された確かな仕事が、子供の頃の私たちを沢山楽しませてくれたんだなあと時を経た今だから感じる想いがある。

個人的にはヤマトやガンダムが好きですが、70年代にみたライディーンやコンバトラーVなど懐かしいもの、また、読んでみたいと思う歴史ものの漫画作品が沢山あった。

彼の絵の魅力は何といっても人間のドラマティックな描き方と勝手に思っている。

太ももとふくらはぎの筋肉がたまらない!あと目がね、目がいい!

今回は芸術新潮を買ったので図録は我慢 真顔  毎度ですがお決まりのクリアファイルを2つ購入 ニコニコ

いつも疑問に思うのはクリアファイルって皆様使用しているのでしょうか、保存しているのでしょうか・・・真顔

何だかもったいなくて使えないから新品がたまってしまい 滝汗 数十年後には大量断捨離なのか?

 

やはり使ったほうがいいですね。


渋谷東急本店、もう解体されてしまっていた・・・そして渋谷駅に近づけばどこも外国人だらけ。

 

知ってるあの店この店はなくなって本当に様変わりしたなあ・・・と、これも毎度の感想。

 

 

皆様よい連休をお過ごしください照れ

 

先週あさきゆめみしを何とか読み終えた。

 

光源氏が登場する第1部と2部までは大勢の人が知るところ。

 

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殆どの人が1.2部が人気ですがこの3部も悪くないです。

 

光源氏亡きあとの第3部は読んだことがなかったのですが、個人的にはとても興味深いなあと、現代の恋愛に通じていてリアリティがあり面白いと感じる内容でした。

光源氏の息子の薫(実は息子ではない)の恋愛が描かれているわけですが、この薫、イケメンでステータスもありながら、自己肯定感が低いのか性格なのか、誠実で理性的なのに勢いよく迫れず恋が成就しない。

 

結婚相手にはもってこいの条件をそろえた男性なのに押しが足りないといえばいいのか、女縁がないというのかチャンスがうまくつかめない。

あれこれ思考してるうちに俺様系の匂の宮に寝取られる展開。女性側も薫の誠実さが一番とわかっていてもその強引さがクセになってしまったのか拒めず ぼけー最終的に二人のうちどちらも選択できず入水〇〇の上出家 真顔

はあー、男も男なら女も女。完全に昼ドラさながらのどろどろ展開。

 

毎度同じ感想で1000年前も今もやってることは同じかとある意味進歩がない恋愛模様が興味深くもあり、恋愛とは元来そういうものなんだと諦めがつく・・・ぼけー

さて、先日美容院に行った際、上映中の映画の話になった。

 

夏の間に多くの人が観た国宝と鬼滅の刃から、現在上映中のアニメ映画の話まで。

 

彼女が 「秒速5センチメートル」の実写版を見るといいというので、今週末に鑑賞しました。


自分たちの世代はどういう感想だろう・・・


正直アニメの実写版を見ることはほぼないのですが、(絶対にアニメのほうがいいから)手持ちの無料チケットの期限が迫っておりとりあえず何か観なければということで映画館にいけば周りは若者だらけ 真顔

 

 

 

アニメは映像が美しいですね


アニメのほうは新海誠監督作品とあって映像がとにかく美しいからこれを超える仕上がりになっているのかどうかが焦点だったのですが、そこは気にならなかったです。

 

アニメより1時間長い分冗長と感じられましたが、より背景が分かるように作られていましたので、これはこれでよかったです。

 

共感できるかどうかに関しては、観る側の子供時代の経験や感性、性格に起因して感動があるかないかが決まるような気がしました。

 

主人公がいつまでも初恋を引きずる生き方はさばさばした大人の女性にはイライラするかもしれません。

恋愛に関し男性はいつまでも引きずり、女性は上書きというコメントを多く見ましたが、もしこの体験が本当に自分に起きたことであったのなら、恐らく女性であっても一生心に残る魂レベルの恋愛だし、なかなか次にいけないのもある意味仕方ないかな。

 

ここまでの美しい恋愛を子供時代に体験したこと、そのこと自体がすごいことなんですが、それ故にこれを超える恋愛体験をすることはなかなかないと思うのです。

 

初恋について近しい人に聞いたことが何度かあります。


でもほとんどの人が曖昧だったりさっぱりしているもので、こんなドラマティックなものではないんですね。

 

心の奥深くで結びあえた記憶は子供であっても決して色あせない。


子供は環境を選べない、受け入れなければならないしどうにかできる力もない。でもだからいつか誰かを幸せにできる自分になるために自分を高めようと頑張るんですよね。

 

いつかどこかでその人に会うかもしれない、その時の自分を誇れるように・・・

自分の経験からは好きな子がいたら逃したくないと思ったら絶対に告白するようにと息子には言ってたなあ・・・ニヤニヤでないと一生後悔する。

 

言わずに終わる後悔より言って砕けたほうがいい 真顔


それを言うと自己肯定感が下がるからいやだと言っていた時期もあったけれど、自分からちゃんと告白して今はうまくやってるよう・・・ウインク

余談ですが、初恋というと思い出されるのがキャンディの初恋の人は誰なのかということ。

 

実は再燃するまで子供の頃からずっと丘の上の大おじさまだと思っていたのです。でも漫画にもイラスト集にもちゃんと初恋の相手はアンソニーと書いてある 真顔 ちゃんと読めてなかったのか・・・

 

アニメのEDあしたがすきで「あのひとがわたしを呼んでいる(待っている)」の時にバックにあるイラスト、キルトを着た男性は丘の上の大おじさま(アルバートさん)なので、この物語が作られた当時、あのひとっていうのは最終的にアルバートさんなんだろうなあ、運命の人はアルバートさんにしたかったんだろうなと思う。

 


ただ、どう読んでもFinalでのあのひとはやはりテリィで、原作者もいろいろに混ぜて書いているから、読む人のその時々の解釈や何を読むかで変わってくるから本当に混乱する赤ちゃん泣き

 

でも初恋の相手はどれを読んでもアンソニーですねニコニコ

 

 

 

11月、紅葉を満喫したく出向いた北信、弾丸ツアーもみじもみじもみじ

連休初日の朝の東京駅は人、人、人。

 

新幹線は満席だし、自由席に座れなかった人が指定席に流れてきて通路はいっぱい。

今回は特に紅葉を楽しむ以外特段目的もなく出かけ成り行きまかせだったのですが、まずは腹ごしらえということで一度は行きたいと思っていたTUGUMORIでランチ!カレーがメインのお店です。

 

 

高原を眺めながらの食事は最高ですラブ
 


キーマカレーとかぼちゃのスープ

 

んーーー最高!ここ数か月食事の量を控えていたので胃が小さくなっていたのか一気に食べてお腹いっぱい。

 

栗のプリンと自家製ジンジャーティ


その後は市立小諸高原美術館へ。企画展と白鳥映雪(小諸市出身の日本画家)展を鑑賞、晩年の能楽シリーズは見ごたえあります。

 

 

 
小諸市高原美術館

小諸市高原美術館から眺め


とりあえず紅葉をと思っていたのですが、今年は夏が長かったせいか小諸地区もまだそこまで色づいておらず、ではもう少し北へ行きましょうと、小布施あたりを散策しましょうと、目的地を定めるも、話しすぎ、とばしすぎで目的地過ぎてさらに北上してしまい 目的地変更 滝汗

 

黒姫童話館と野尻湖へグラサン

 

黒姫童話館、すぐそばにスキー場がある立地、夏の間しかやっていません 真顔 (11月まで)


大きい美術館ではありませんが、絵本、童話好きは一度行ってみる価値がある場所かもしれません。

 

予定変更も悪くないニコ

HPを見れば大体のことはわかりますが、メインとしてミヒャエル・エンデ、松谷みよ子のコレクション、いわさきちひろの山荘があります。モモで有名なカメ、カシオペイアがところどころに設置されています ニコニコ (果てしない物語にもカメがいましたが忘れてました💦)

 

 


着いた時には夕方近かったため薄暗いですね

 

美術館からの景色

彼は翻訳家の佐藤真理子さんと再婚されていたんですね!


いわさきちひろについて、長野に関しては安曇野にある美術館には何度か行ったことがありますが、山荘がある黒姫美術館は初めてだったので、来られたのは本当に幸運でした ニコニコ


彼女の作品自体はないのですが、(いくつかあったかも?)この山荘で野尻湖を眺めながら描いたのかと想いを馳せるのは贅沢なことです。

 


まだそんなに色づいていませんね

1階

1階 リビングダイニング

キッチンがモダンですね。

2F すてきな眺めですね照れ 創作が捗りそうです。

 

個人的に興味を引いたのは信州の児童文学についてのコーナーです。その中に齊藤隆介について紹介する箇所がありました。

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彼は秋田出身ですが、滝平二郎との作品、「花さき山」や「もちもちの木」などあの切り絵や版画を一度は見たことある人は多いと思います。信州の山村風景と重なる大好きな作品です。

余談ですが齊藤隆介、滝平二郎の絵本すごろくというのがあります。

久しぶりに出してみれば何とも懐かしくなりました。結構大きいんです。


調べてみればすでに販売していないので、ヤフオク等で購入するしかないですが、かなり面白いのです。


子供が小さいころはまって絵本だけでなく寝る前に何度やらされたことか・・・


2つすごろくがあり、裏面B面がかっぱすごろくというものです。書いてある通り「すすんでドッキリ、もどってびっくり」真顔

 

これがなかなか上がれない=寝れないっていう展開で、寝かせられずのオチで滝汗 早く終わらないかと思いながら毎度付き合ってやっていたなあと懐かしくなりましたニコニコ

美術館をあとにして野尻湖についたときには夕方になってしまい、眺めただけになってしまいました 赤ちゃんぴえん


あとで聞いた話では連休中、小布施は相当の混雑だったとか。長野県立美術館でやっている東山魁夷展もおそらく混んでいただろうから人の少ない高原に行ったのは結果オーライだったようです。

帰りに道の駅で生ピーナツを購入よだれ


家に帰って塩ゆでして食べる。おいしい!!もっと買ってくればよかったえーん



翌日は軽井沢に立ち寄って旧軽を散策するも、やはりところどころ色づいてはいるものの、例年ほどではないように感じた。


今夏の暑さで枯れてしまったものもあると地元の人は言っていた。でもきっと来週くらいにはもっと美しい景色が楽しめるはず。


軽井沢の紅葉もみじもみじもみじ


最後にミヒャエル・エンデといえばモモ。

 

ふと立ち止まることが多くなった今読み直してみようと思っています。

 

一気に涼しくなりましたもみじ

夏が長過ぎたため待ちに待ったこの季節を思い切り楽しみたいと思いつつも、何気に仕事が忙しい今秋 ショボーン ブログの更新も儘ならないのですが、目下取り組んでいる秋が二つあります。

食欲の秋

8月のブログで書いたのですが、かなり真剣に食事改善に取り組んだことで3㎏痩せて、元の体重に戻りました ニコニコ

炭水化物の摂取量を減らし、タンパク質を多めに取るよう努め以下を実践、

 

・夏でも夜は鍋物で野菜を中心に〆の淡水化物を食べない。

・油分を控えて肉類は蒸し物、茹で物にする。
・甘いものは和菓子にする。

 

これで2か月で3Kg減ったので体が軽くなり腰痛も改善されましたニコ

 

あとは少し運動を増やしてうまく維持できればいいのですが、脂肪を蓄えやすい冬が待っております 真顔


コーヒーとチョコレートという誘惑がこの先ありまして・・・これをどう取り入れて乗り切るかです。やはり食べたい。

読書の秋

相変わらず図書館通いを続けていますが、最近は「50代からの〇〇」などの指南書のようなものをいろいろと読んでいます。

50代というのはまさに人生の秋といったところでしょうかもみじ 


どうも昨年あたりから更に時間が早く過ぎると感じるので、できるだけ後悔しないようにできることは今やるようにしています。


本と一緒に漫画も読んでいますが、この2,3週間で以下2つ読みました。

あさきゆめみし


若い頃に読んだきりでしたが、改めて読み直して大和和紀先生のこの作品にかける情熱に深く感動。

はいからさんが通るから数作品後の数年後に手掛けたこの作品、画力も数段上がって絵が数段美しい。

最初のほうは女性が誰が誰かわからなくなり 滝汗、系図に戻りながら読んでましたが後半は一気に読んで、

ああ、しかし、何ていうのかしら、源氏って相変わらずゲスだったのねえ・・としみじみ 真顔

 

悪意ない行動に女性達の苦悩ったらない。1000年前から女性はこうだったー 真顔

日本で女性の総理大臣が誕生するかもしれない今、権力のある男といないと生活すらままならないこの時代の女性達の生き辛さを思うと、選択の自由があることの有難みをつくづく感じます。

小さな恋のものがたり


図書館には愛蔵版の2冊しかなかったのですが久しぶりに読みました ニコニコ

おそらくこの作品はブログ主よりも上の世代の方の間でブレイクした作品。

若い頃に通っていた整骨院や整形外科の待合室に必ずおいてあって、そこで読んだ記憶しかなかったけれど、改めて読むと10代に戻ったようなきゅんとした気持ちになりますニコニコ

 

そう、10代って相手がどうとか関係なく、自分のこのキュンに恋していたという意味では、なぜかいつも片思いのような恋をいくつかしたなあと思い出しました。

 

今思うと相手にとっては迷惑以外の何物でもなかったかもと・・・真顔

この二人、付き合ってるものとして読んでいたのですが、コンセプトは「永遠の片思い」ということのようで、付き合ってない。調べると両片思いと書いてあるのもある。

 

どれが本当なんだろう。

家で2人で勉強したりデートしたりで、どう考えても付き合ってる距離感にしか感じられず、これで片思いなのかと思うと、付き合ってる状態というのは二人が付き合ってると思えば付き合ってるとなるわけで外からはわからない。

 

そう考えるとキャンディとテリィも後半は付き合ってると思いますが、付き合いの始まりはどこかといわれるとよくわからない。

 

「俺とつきあってくれ」とかないし、好きとも言ってない 真顔

 

メイ・フェスティバルのあとか・・・真顔

おまけにサリーの退場があれで切ない。主人公を自分に当てはめるとなかなかの辛さ。

さてサリーですが、モデルはあるようですが、見ていたら若い頃の三浦友和さんに見えてきたのですがブログ主だけか 真顔

 

この時代のイケメンって前髪が妙に立っている。正統派イケメンラブ

 
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本当にすてき。テリィに負けず劣らずのシャツの開きw エッチすぎる
 

ほのぼのするんだけど、付き合ってない微妙な距離?

 

余談ですが前回伯母のプチ家出などというものを書いた翌日の朝、察知したかのように半年振りくらいに伯母から電話があって驚きました 滝汗

 

人のことをあまり書くものではないなあとつくづく思ったのでした・・・滝汗

伯母はその男性と会いたいと言い出した。伯母の性格からして恐らくそうなるだろうとは予想していた。

 

ただ会うと言っても40年以上が経過しているのに、いきなりの電話連絡??普通の感覚ならなかなかできるものではない。


そこで伯母はパシリというか仲介役として父を利用した 滝汗

 

人のいい父からその方へ電話をさせて約束にこぎつけたのである  滝汗

 

同郷の〇〇さんという方が自分の嫁の姉で、今東京に出てきている、少しだけ会っていただけないでしょうか・・・云々の流れだ。

 

父も我の強い伯母の性格を理解し断るに断れなったのか、彼女への同情だったのか、嫌がるそぶりを見せることなく、電話をする姿は何とも言えない気分だった。

 

幸運にもその方は会うことを承諾してくれた  滝汗


当日伯母は持参した中の一番の勝負服らしい服 真顔 を着て、ヘアスプレーを髪に大量に吹きかけ、緊張の面持ちで父と出かけていった。

 

しかし、お茶しながらのおしゃべりとあってか、その再会はあっさり終了し夕方には帰宅、夜はその日のことは一切話題に上がらずいつも通りの夕食がかえって不自然に感じられた。


それから数日して、伯母は何ごともなかったかのように迎えにきた息子夫婦と足取り軽く帰っていった。

 

気持ちの整理ができたのかもしれないし、家族からそろそろ帰ってくるよう声がかかったことが帰る後押しになったのだろう。

 

伯母のいなくなった実家は台風の後のような静けさと安堵感に包まれた。

しばらくして父はその再会のことを詳細に教えてくれた。

 

ホテルのロビーで待ち合わせし、最初は父とその方と伯母と3人で話し、そのあと父が席を外して2人で会話しただけというなんともつまらない 真顔 健全な再会だったようだ。


記念に写真を撮ったと、父は現像したての写真を頼んでもいないのにブログ主に見せた。

そこには還暦を過ぎた見ず知らずの年老いた男性と、パーマヘアのふくよかな田舎のおばさんの姿があった。


「どうなの?? これ、えー、なんかちょっと考えられないなあ・・・」とつぶやき母を見れば、苦虫をつぶしたようなその表情から半ば呆れているのがよくわかった。

「そんなことでもしないとやりきれなかったのだろう・・・」とだけ静かに言って父は写真を紙袋に戻した。

「伯母さん、思い抱いていた人と違っていてがっかりしたんだって」


「ひどくない??せっかく会ってくれたのにさ、多分相手も同じように感じたと思うよ」

 

父はその言葉を笑って受け止めただけだった。

 

「まあ、納得したんだろう、よかったんだよ」

 

父はどこまでも優しかった。

 

この会話を最後に伯母の逃避行について両親は一切話さなかった。そして伯母夫婦はその後何事もなかったように時々実家を訪れた。

 

今となってはその出来事を知っているのは伯母とブログ主だけになってしまった。伯母は90をとうに超えても至って元気だ。

 

時々声が聞きたくなったと電話をしてきては愚痴を聞かされることのほうが多い。

 

時々ふと思う、いつか息子である従兄弟たちにそのことをばらしてやろうか、などと。

この出来事を思い出したのは、あの時の伯母の年齢に近づいてきた今、自分にも子供時代の思い出の大切な人がいるからだろう。

 

じゃあまたねと手を振って笑って別れたあのときが最後になるとは思ってもみなかった。

 

あの時好きだと言ってしまえばよかった、そういえたら何かが違っていたかもしれない(By ミカサアッカーマン)

 

その時はこれが最後かもしれないと思いつつ、若かったからかどこかで偶然会えるかもしれないという淡い期待を抱いていたけれど、その後会う機会は一度も訪れなかった。

 

人生の終盤にさしかかり、以前より思い出すことが多くなったのはノスタルジーから美化されたからか?

 

幸せでいてほしい、心底そう思うひとだ・・・ニコ

 

きっと誰にもそんな切ない思い出の一つやふたつあるのだろう。

 

なのに伯母は・・・青春の思い出を夫婦喧嘩の解決に利用したのか? 周りを振り回しすぎだしほかにやり方なかったの?? 滝汗 

 

まあ夫婦はその後も何事もなく??暮らしたのだからいいけれど、伯母以外の人たち、自分、両親、その男性もとんだとばっちりでしかなかった。
 

今から30年以上も前の出来事、亡き母のすぐ上の姉(伯母)が実家に滞在した時のこと。

 

その頃は自分も働きだしはしたもののまだ実家住まいの20代前半だった。

伯母は息子夫婦を数年に一度のペースで会いに東京へ来る次いでに必ず母を訪ね、1,2泊するのが常になっていたのだが、なぜかその時だけ2週間も滞在することになった。


さらに、いつもは必ず夫婦揃っての訪問だったのに、その時だけなぜか伯母一人でやってきたのだ。

伯母が滞在することについては来る数日前に聞かされ、いつものことと何ら気にも留めることはなかったけれど、前日になって父から今回の滞在理由を知ることになった。


伯父の女性関係で家族間でひと悶着あり、一緒にいるのが辛いという、要はプチ家出ということだった。

60過ぎの伯母の夫婦事情を、まだ20代前半の娘に聞かせる父がその時どういう心情だったか計り知れないけれど、「まあ、そんな訳でしばらく滞在するからよろしく」と、当たり前のことのように言う。

 

「えー、なにその理由・・・ 」と、咄嗟に返す。


「まあ、そんなことも生きていればある。伯母さんもいろいろ辛いんだろう・・・」と、静かに低い声で言われそれ以上追及することはしなかった。

翌日、伯母がやってきて、「しばらくお世話になるね」と、いつものあいさつを交わし、いつも通りの笑みを浮かべながらも、心の中はいつも通りとはいかずとても複雑だった。

 

数日は、あの人がどうの、この人がどうのと、若者には全く興味の湧かない親戚の話や噂話、世間話などを次から次への飽くことなく話していた3人だったが、伯母がいないときを見計らって、父から次のようにいわれた。

伯母は今回の伯父との一件で、40年の夫婦生活が間違いであったのではないかと苛まれ、ふと結婚する前に仲良くしていた男性に会ってみたくなったというのだ。

 

その男性は若いころに上京し、すでに結婚しているという、そして今回その人の家探しをブログ主に協力しろというのだ。

 

「えー、いやなんだけど。それにその人は結婚しているんでしょう?何?会ってどうするの?離婚するってこと?」

 

「おばさんは離婚なんてしないし、どうする訳でもないよ、ただ、どんなところに住んでいるのか見てみたくなっただけだよ。

まあ今は好きにさせてあげてくれ」


今ならGoogleMapで住所を入れればどんな場所か簡単に確認できてしまう便利で恐ろしい時代。でも当時は地図で確かめて実際に足を運ばなければ、家を見つけることはできなかった。

 

卒業生名簿かどこからか知ったその人の連絡先を伯母は書き留めてきていた。

 

長年生きていればそんな気持ちになることもあるということを今なら理解できる。そしてそれを親友とまたは、自分だけで密かに行動するならいい。でも姪である自分に頼むこと、そのことが全くわからなかった。


昔好きだった男の家探しツアーは翌日暗くなった20時ころに早速実行された。

 

ブログ主が車を運転し、父が助手席、後部座席に母と伯母。出発に際し「よろしく頼むね」とやさしく言われるも、心中複雑なのは変わらない。

 

1時間ほど運転し、目的地近くまできて住所片手に徐行しながら進むと、その場所は案外簡単に見つかった。

 

閑静な住宅地に立つその家は、大きくも小さくもない特徴のない普通の昭和風2階建ての木造の一軒家だった。


家の前の通りの反対側に車を止めて、車内で身を乗りだして表札を確認し「ここだ、ここだ」と窓を開けて声を発すると、思いのほか響いてしまい慌てて窓を閉めた。

 

伯母は、「ふーん」とか、「ここね」と、つぶやきながら、しばらくその家をじっと見つめ、数分の間何やら考えに耽っていたが、「うん、もう行っていいよ。ありがとう、〇〇ちゃん」と声をかけた。

 

帰りの車の中で伯母は、「まあまあの家だったねえ」と3人に同意を求めた。母は「そうだねえ、家よりいい家だった」といい、思わず苦笑する父 滝汗

 

伯母は帰路の車中で何度も何度もその家を「まあまあ」と表現し、同じ話題を何度も繰り返した。

 

まあまあの家・・・滝汗

黙ったまま運転した。

 

昔好きだった人の家をまあまあと品定めした品のない伯母に気分がよくなかった。

 

随分じゃない? 仮にもその方は東京に上京し、事情はいざ知らず一軒家を構えていたわけで、会ったこともないその男性に同情を抱かざる得ない。

それでもブログ主のミッションは終了し、このあと伯母からこの一件で何かを頼まれることはなかった。

 

ただ、伯母は家探しだけでは納得できず、後日その人に会うことになった。

 

 

 

東京はやっと、やっと涼しくなった えーん

 

エアコンを使用せずに一日過ごしたのは何か月振りか・・・えーん


そんな本日金曜日、東京都美術館で12日より始まった「ゴッホ展、家族がつないだ画家の夢」展覧会へ。

 


東京都美術館は今春のミロ展以来、半年ぶり。早めに仕事を切り上げて行って参りました バス

上野公園ではウエノパンダ中秋祭が開催されており、涼しいのもあってか沢山の人で賑わい活気がありました。

展覧会はというと、やはり混んでいた・・・ぼけー

それでも平日だったこともあり入場制限はなかった。

 

確かに次の絵まで並んで待つという状態ではありましたが、この程度は大したことはないのだろうなあ。

 

大人から子供まで男女とも均等に、海外の人も結構いて、やはりゴッホは誰もが見ておきたいと思う人気の画家であることがよくわかる。

展示に関してはゴッホともなると、すべての絵までの距離が遠い 真顔 

 

1-1.2Mほどの距離で、遠近眼鏡矯正中の身としては、説明文の字が小さくて読めないんですが・・・滝汗 というので急遽眼鏡を変更して鑑賞した次第。

今回の展覧会の見どころは大まかにファン・ゴッホ家のコレクション、ゴッホの絵の展示、ゴッホの死後に残された家族の美術館の創設の流れ、美術館の現在の活動など。


またゴッホの日本初公開の手紙があり、これらを見れたのがよかった。

 

絵入りの彼の直筆手紙からは、彼の繊細さや几帳面さが感じられる。


整った筆跡で文章も美しかった。弟テオの奥さんヨーの会計帳の筆跡も、これまた小さな文字で細かく整っており、非常に優秀な方だったのがわかる。

 

こういった昔の方の筆跡を見ると、当時の紙はまだ高級品であったことからも書くという作業は今よりずっと大切な行為だったのだろうなとも思った。


ゴッホの知名度普及のために売った作品、ヨーが管理し守り抜いた作品群、財団を立ち上げ美術館とするまでの経緯がよくわかり、違った角度からゴッホを鑑賞できた展覧会だった。


この展覧会はもちろんカメラNGですが、下記の映像とレポートは参考になります。

 

 

 

ゴッホの作品だけでなく、美術館が所蔵している19世紀画家のコレクションもかなりいいもの揃いです、浮世絵もありましたニコニコ

話は変わって自分のことですが、ゴッホを初めてみたのは1992年の世田谷美術館で開催された「ゴッホと日本」展でした。

 


当時は日本でのゴッホの人気度を知らず、GWに気軽に訪れたこの展覧会で入場制限され、混雑のなか鑑賞となってしまった。

そこで見た「花咲くアーモンドの枝」の絵とその逸話に心惹かれ、その後、印象派絵画やフランス文化全般に傾倒し、何度もフランスを訪れたのでした。

 

明るいブルーの色彩のこの絵を見ると、家族の絆を思い出し温かい気持ちになる。

 

この時一緒に行った親友がその後その絵のポスターを額に入れたものを誕生日にプレゼントしてくれたえーん

 

展覧会にはアーモンドの枝の絵はありませんでしたが、売場には人気のこの絵の関連商品がたくさんありました。

 

今回はこの絵のはがきのみ数枚購入。

 

電子メッセージが便利でも、今も時々大切な人にはがきを書きたくなります。

 

映像がかなりたくさんありました。

これはどこで買ったか記憶がなく調べたところ、90年代前半にオルセー美術館の売店で買ったとわかりました。貴重なのか?
 

1992年展覧会で買ったハガキが一枚だけ保管していた。

帰りに暗くなって照明がいい感じ。金曜の上野はほんといい。

 

 

8月に久しぶりに子供時代の友人に会った際、キャンディキャンディの漫画だけは持っていると聞いて、子供時代に仲間が少なくあまり聞くことができなかったあの質問を今更に投げてみた、そう、やってみたかったのです ニコニコ

「誰が好きだった?テリィ?」
 

「そうねえ、テリィはないね 滝汗  だれだっけ、名前忘れたけどあの兄弟の性格のいいほうの・・・」

「ああ、ステアね」

 

テリィ推しの自分ですが、好きな男性に順番につけるとすると

1 テリィ
2 アンソニー
3 ステア

 

なぜアルバートさんがいないのか 真顔

 

理由としては彼がイケメンで素晴らしい人であることは言わずもがななのですが、一人だけ大人だったため、どうしても恋愛の選択肢になかったそれだけです。

少し前にパティのことを取り上げた時に、そういえばステアについてはまだ語ったことがなかったなとふと思いだし、男性陣にフォーカスして漫画の再読をしました。

何度読んでもこの物語が、丘の上の王子様=ウィリアム大おじさまが最後にわかる衝撃のラストより、読後に何とも言えない虚しさのような余韻が残るのは、キャンディとテリィが結ばれなかった結末だけでなく、自分が好きだった男性3人が最終的に誰も幸せになっていないからなんです。

2人は早世、1人は10代で重しを背負わされる人生 ぼけー

これ、これが読後のすっきりしない余韻の原因なんです。

 

自分が母となり息子をもつ身になると、キャンディになって物語に入り込んでいた子供の頃よりはるかにつらい。

せめてキャンディがテリィと別れてしまっても、自分が好きだった最後の一人、ステアの幸せを垣間見れたなら、少しは救われたのかもしれない。

 

ステアは戦場に行ってキャンディへの愛情とパティへの愛情の違いを明確に認識していました。

ステアがパティを幸せにするという展開があったら、穏やかな二人が学生時代の恋愛を温めて結婚したという将来は読者に希望を持たせてくれたと思うのです。


アーチーとアニーが結ばれてるじゃないかといえばそうなのですが、アーチーはキャンディへの愛情を行動で示し、長年引きずっていた。それは言わなかっただけでステアだって同じ。

 

でも、恐らく彼が一番現実的で一般的な男性であるにも関わらず、個人的にはどうしてもアニーに妥協した感が残り、彼女への愛情が本物なのか見極めにくかったところがあります。

アードレー家という経済的にも社会的にも恵まれた環境にいながら、志願兵となって戦争に行った彼の選択が、何となく混とんとした今の時代に読むともやもやした気持ちになります。

 

もし10年前だったらまた違った感じ方をしたかもしれないです。

ステア、近眼だったのだから、「風立ちぬ」の堀越次郎のようにパイロットではなく設計の道に進んでもよかったのに。

生き続ける強さみたいなものを教えてほしかったなあと。

(そもそも近眼?でパイロットのテストに合格したのが不思議なんですが・・・真顔

 

アニメだとサングラスなんですが度は入っている?

キャンディをアードレー家の養女にしたのは大おじさまですが、それは三銃士が頼み込み願いを聞き入れたから、この3人が強くキャンディの幸せを願ったからなのにそのうち2人が早世ショボーン

 

これではキャンディに責任はないとしてもエルロイ大おば様が、キャンディを好きになれないのも今となれば仕方ないなあと感じてしまうところがある。

キャンディはアルバートさんに守られ、一時は記憶喪失になりどうなるかと思われたけど、アルバートさんはアードレー家の総長として子供の頃から守られていた。

 

長く生きることだけが幸せなことではないけれど、ステアが亡くなったことでパティも幸せになれていないし、この物語の最後の最後でステアが死ぬ意味を今も見つけられないでいます。

さて、話は変わって、最後にテリィのなびく髪について少しだけ ニコニコ

 

やはり髪型っていうのは見た目に大きなウェイトを占めるのですが、この最強の髪型は後ろから見るとどんな人もイケメンにみせる。

 

その代表がこのシーンですが、なんでこんな強烈なキャラいれてきたんでしょう・・・ ニヤリ

 

揺れるサイドの髪

立った襟とたばこ。イケメンに見せるアイテム

ああテリィ・・・

見返りイケメンではなかった喪失感


この人前歯3本だったんですね 滝汗 2本だと思っていました滝汗

 

再読して一番気になったのがこれって、まだこの物語を真剣に読めてないのかもしれないと思えてきました。
 

 

これはおそ松くんのイヤミへのオマージュでしょうか・・・


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8月もやっと終わる。

 

なんと厳しい暑さの8月だったことか・・・ゲッソリ

明日から9月だというのに残暑の厳しさといったらない。

 

やっと終わりだなどと、自分が子供の頃、子育てをしていた時と比較して、今の子供達も親も大変だなとつくづく思う。

涼しいところを求めて暑さを避けてどこへ行く?

ブログ主はもっぱら図書館だ。

図書館・・・ああ、素敵な響き・・・ラブ

子供の頃、図書館は実家から離れたところにあったので、課題図書を借りたりする以外利用する機会は少なかった。

子供の成長とともに図書館に近いところに住みたいと、図書館が歩いていける場所にあることが、今住んでいる場所を決めた理由の一つだった。

 

そんなわけで有難いことにかなりの頻度で利用している。

閉館の1-2時間位前に行って、ほとんどの場合立って読むと決めている。

なぜかって、日中行って座ってしまったら割と早くに眠りに落ちてしまうからだ。これには絶対の自信がある 滝汗

本に触れてほしいという希望からか、ニーズがあるからか地元の図書館の漫画の数はこのところ随分増えた。

 

毎回漫画コーナーに行くと、え?これもあるのかと驚くこともある。

 

今年に入ってから結構読んだ。今月はシュナの旅、そしていつも借りられているサイボーグ009、15巻すべて読むことができた。

サイボーグ009、沢山のアニメシリーズがあるけれど、実際に見たのは小学生の頃1979-80年に放送されたシリーズだけだった。

45話から登場するガンダールとネオ・ブラックゴースト、3兄弟の関係が、当時何とも神秘的でワクワクして見ていたのに、あろうことか最終回を見逃してしまった チーン

 

その時のショックたるや・・・

 

当時はビデオもなく、しばらくあの4人がどうやって最期を迎えたのか気になって気になって仕方なかった。

 

で、今日やっとその最終回を45年振りに見たのでした えーん 今更ですが…

 

どうやって終わったかはもちろんネタバレで知ってはいました。それでも実際にみるとかなり達成感がありました ウシシ 年甲斐もなく・・・

 

子供の頃に見ていたアニメ、最終回を見逃しているものが結構あるので、少しづつだけれど、思い出したときに調べてみてみたいと思っている。

話は変わって「薬屋のひとりごと」がなろうサイトで連載を開始した ウインク  ひとつ楽しみが増えた。

明日から9月、早く涼しくなってほしい・・・チーン