空がある限り
いつも、愛が降りてくる



日の光でも
なみだのような雨でも
綿の実のような雪でも



空が愛おしくて
たまらない






昨日は
父の、50日祭



両親の家はともに
神道(しんとう)なので
亡くなった日から50日目を
こう呼びます



山、川、海、木、食物など
自然や万物には神が宿る
(八百万の神)と考え


自然の力や
先祖の霊を神として祀る
穢れ(汚れ、不浄)を嫌い  
心身の清らかさに重きをおく



50日祭は
故人を
「家を守る守護神」として
お迎えする儀式であり



この日を境に
「忌中」から「日常」へ
戻りました



遠くに行ったような…でも
ちかくで見守ってくれるような
ふしぎな気分



この50日のあいだに
市役所には、なんども
足を運んだのです



戸籍謄本という
一枚の紙をたよりに



生まれてから亡くなるまでの
父の生きてきた道を
文字でたどりながら



自分では、最後の文字までは
確認できないんだなぁと



だれかがこうして
見届けてあげるんだなぁと



その役目を
私がしてあげていることを
父はよろこんでくれていると
いいな、なんてね



もう言葉では
伝えられないけれど



いまのほうが
愛をおもいだす



そんな時間でした






声はもう
聞くことはできない



父が残した言葉は
私の宝物になっていて
そのひとつ



「山から風が吹いてくる」 



その風はどんなだろう
香りはあるのだろうか



おだやかな
やわらかな風だと私は思う



野山の土の香りが
運ばれてくるよう



その風は父の声に
思えるのです



先日、ラジオで朗読した
私がノベルセラピーでつくった
「花咲きみだれる祠」



そのなかで
私は自分を
山に喩えました



私(山)から吹いてくる風は
私の声、こころの声…



それを感じるひとが
いてくれたら
しあわせだなぁと



広く、見まもり、つつみこむ



父がつけた
広美という名前は



そんな意味がふくまれていると
勝手に(笑)解釈できました



昨日は、お花と
父が大好きな月餅を
お供えして…






今日は一日
雨が降ったり晴れたりで…



18時頃、店から外にでて
なにげなく空を見上げると



正面にうっすら
を発見






まだだれも気づいていなくて
スマホをとりに戻って 
写真におさめていると



小さい子が
「わたし、はじめてみたー」と
にっこり、ママもにっこり



横のお姉さまが
「私も写真を撮るわ
おしえてくれてありがとう」と



虹はどんどん大きく
どんどん明るくかがやき







もう、そこらじゅうの人がみんな
立ち止まり、空を見上げています



よく見ると
二重に架かった、副虹です







店をほったらかしにして
少し開けた広場のほうまで











幸運の 



空がある限り
いつも、愛が降りてくる



日の光でも
なみだのような雨でも
綿の実のような雪でも



そして
うつくしい虹も



空が愛おしくて
たまらない



私にとって
この虹は



父からの「ありがとう」
そう思えて
とてもしあわせ



私からも
「ありがとう」



スピカ