わたし、確か、「今持ってる鍋よりひと回り小さい鍋」を買いに行ったはずだったんだけどな…
{DB593201-71E8-4BA2-B060-D72D0677100D}

右が元々持ってた鍋、左が今日買った鍋。
おかしい…😓



(そもそも、ひっさびさに更新したブログの内容がコレってどうなんだろう…💧)
大学以来のベートーヴェンマイブームで、車の中ではベートーヴェンのピアノソナタを絶賛
リピート中。私はそんなに筋金入りのファンではないけど、とりあえずクラシックを聴くとベートーヴェンに偏る。

なんでそんなに好きなのかと真面目に考えたこともあったけど、結論から言えば「だって好きなんだもん」としか言いようがなかった。

メロディラインにしろ、和声進行…というのかな?和音の動き方ね、そういうものにしろ、よくここにこの音を持ってきました、よくこの楽器を選びましたといちいち溜息がでるほど、ベートーヴェンの“音”は奇蹟的な美しさを持ってる、と思う。

完全に好みとしか言いようのない問題だけど、もうこれはベートーヴェンの美意識とか個性とか、そういうものを好きだと言っているようなものだから仕方ない。

…とはいえ。これは私が “筋金入りのファンではない” 理由でもあるのだけど、ベートーヴェンの音楽なら全部が全部好きかというと、そうでもない。多分むしろ、私が熱狂的に好きなのはベートーヴェンの音楽のごく一部だし、聴いてはみたけどさほど好きにならなかった曲もたくさんある。

音楽に使われてるメロディや和音なんかを、大雑把に
      A.どうしようもなく好き(≧∇≦)♡
      B.まあ好き(^^)
      C.あんまり印象に残らない(´-`)
      D.…だっせ(^^;
      E.嫌い!(>_<)
で分けると、他の作曲家の曲はBとCが圧倒的に多い。現代音楽の不協和音やら無調音楽やらでない限りは「…まあ、いいんじゃない?」と思うか、全く覚えてないか。

そこんとこ、ベートーヴェンの曲はどうかというと、AからDまで幅広い。同じ曲の中でもAやらDやらが混在する。E.嫌い!はさすがにないけど。
…そう、結構あるんだ。なんか垢抜けないメロディだなぁってのが(^^;

荘重な雰囲気の中に突然現れるラジオ体操チックなメロディやら、赤ん坊にベロベロバァってやってるみたいなメロディやら、その他なんとも言えない「どうしてソコそんなダッサい音にしちゃったかなぁ」(←超上から(^^;)と思ってしまうような。

でもでも、それでもね、必ずしも私好みの音楽ばかり創る人じゃないからこそ、私の大好きな曲たちの神がかった美しさはまさに奇蹟(私にとって)だと思うんだ。

特に「ピアノソナタ第23番『熱情』」「ピアノ協奏曲第5番『皇帝』」この2曲に至っては、美しくない箇所がひとつもない❗️どこもかしこも、一音一音が奇蹟のような美しさ✨まさに完璧。…あんなダッサいメロディだって創っちゃう人なのに‼️←大きなお世話(^^;

で、思うに…。
そういう意味で、破綻のない安定した美しさを見せるのは、モーツァルトの音楽じゃないかなぁ、と、個人的には思う。
いくつかモーツァルトの音楽を聴いて思ったのは「この人は、人が本能的に求める音というものを熟知しているんだなぁ」ということ。

何というか、腑に落ちるというか、満足するというか、「待ってました!」感というか。
だからモーツァルトの音楽は、何であれ聴いた後にスカッとする。私の音楽的な欲求を、よくぞ解ってくれました、と言いたくなるようなカタルシス。こういうのを求めていたんだよ!っていうのがすべて満たされる。破綻はひとつもない。

でも私は、モーツァルトを聴きあさる、ということはしなかった。…なぜなら、多分、聴いた分で充分満足してたから。

ベートーヴェンは、違う。ダッサい曲も冗長でタルい曲もある(私の中ではね)。でも、時折、私の想像をはるかに超えた次元から、奇蹟のように美しい曲が降ってくる。
そんなのがたまにあるから、聴いてない他の曲でそんな奇蹟の音楽がまだあるんじゃないかと気になってしょうがない。

ベートーヴェンという個人の個性や美意識、何を考えて曲作ってたんだろうとか、そういうことにも興味が湧いて、ああ、私も“ベートーヴェンファン”の世界に片足突っ込んでるのかなぁとぼんやり思う(笑)。

…この感覚、似たようなことをどこかで考えたなぁ、とふと思い出す。

そう、あれは…生まれて初めて、宝塚の舞台を観に行った日のこと。
トップスターは春野寿美礼さん。第一印象は、とても宝塚的な、清楚な美しさをもつ人だと思った。
だけど、プログラムをめくりながら、写真によって印象が全然違うことに気がついた。やっぱりキレイだなぁ、と素直に思える顔もあれば、なんだかひどく老け込んで見えたり、そのへんにいるフツーの人に見えたり。

帰りにキャトルレーヴに寄って、ブロマイドやらポスターやらで、各組のトップスターの顔をしげしげと眺める。
…そして、どの角度からみても破綻のない美しさを見せているのは、和央ようかさんだなぁ、と思った。すごいね、どっから見てもどんな表情でも美しい人っているんだねー、と感心して帰った。

正直なところ、顔だけ見たときの私の中の評価は、和央ようかさんの方が断然高かった。

ところが。このあと、私を観劇に誘ってくれた友人が見せてくれた「エリザベート(2002年花組)」のビデオで、私は電撃的にすみれさんの魅力にヤラレてしまった。

圧倒的な歌唱力もさることながら、何と言ってもその表情❗️✨冷ややかで射すくめられるような威厳と、そして抗うことのできない色香。美しく恐ろしく妖しい黄泉の帝王に、私はすっかり魂を抜かれてしまった。

なんて表情をするんだろう。…この人は、どんな人なんだろう。俄然、興味がわいた。
ブロマイドに写真集に、手当たり次第にいろんなものを買って、読んで、眺めて…それでも止まらなかった。

なぜなら、やっぱりすみれさんは、見せる貌がいろいろありすぎて、角度や表情で別人のように見えたから。どれが本当の貌なんだろう。こんなに違う貌たちは、どこで繋がっているんだろう。
…気になって気になって仕方なかった。

そこから10年以上にも及ぶファン生活が始まったわけだけど、すみれさんの見せる貌はそれはそれはいっぱいあった。
中にはもちろん、決して好みではないスタイルもあった。顔のことだけじゃなくて、ファッションやお芝居の仕方や歌い方も。

でも、だからこそ、時折見せる奇蹟のような美しさ、その表現を、次は次はと追い求めてしまう。
好きじゃないなぁというものがあっても、魂ごと持っていかれるような、人智を超えた美しさやその存在感を知っているから…。


…なあんてことを思い出して、思う。
私、きっと印象の定まらない人がタイプなんだ。
多分、安定のクオリティを見たら、その安定っぷりに安心して、自分の中で「この人はこんな感じ」と片付けてしまう。
だけど、強烈に心惹かれた何かがひとつでもある人は、私の中で水準以下と思うものが他にあったとしても、むしろそのギャップが興味を駆り立てる。

コンスタントに100点の人より、20点や30点も取るけどたまに嘘のように200点くらい取っちゃうタイプに心惹かれるらしい。…あくまで私の中の好みという基準に照らしての話だけど。
ちょっとした新発見で面白かったな(^^)
…ちょっと迷ったけど書いてしまおう。

ずいぶん前、とあるアマチュアオーケストラの演奏会を聴きに行った。…学生さんのね。

これがまた、かなり微妙な出来だった。いや、微妙というか、ハッキリ言えばヘタクソだった。

何が下手って、まずチューニングからして怪しい(^^;オーボエの音を拾うコンサートマスターの音が、結構ズレたところから始まって、その後一応合うんだけど、更にそれを拾うメンバーの音が色々すぎて、しかも揺れる。

不安になりながら演奏が始まると、やっぱり案の定の音。揺れる、そして合ってない。和音が気持ち悪い。
弦は音が取れてないし、菅は高音で必ずコケる。
金管のコケは目立つから特に可哀想。

今回特に知ってる曲だったし、脳内には正しい音程のあるべき音が鳴ってるから、そこに行かない現実の音がもどかしくて、惜しい!感がスゴくて手に汗握る。頑張れ!あとちょっと、そこをも少しこう…!みたいな(^^;

聴くのに異様に体力を使う演奏会が終わってみて、つくづく感じたのは、「基礎練習って大事だなぁ」ということ。

どの楽器にしても「正しい音を安定して出せること」それこそが基礎の基礎。そこが崩れていると、曲想や演奏者の個性を感じる以前に聴きづらさが際立ってしまう。
表現や個性を、鑑賞や評価の対象に上せるためには、基礎が出来てることが絶対の前提なんだ…そう思った。きっと、どんな分野でも。

…それでもね、彼らの演奏はある意味アマチュアとして正しい姿なのかな、とも思った。

別にこれで生計を立てていこうというつもりはないけど、ただ音楽を楽しみたい。大好きなあの曲を、自分の手で演奏してみたい。
そんな自然な欲求を手っ取り早く(と言うと語弊があるけど)叶えてくれる場があってもいい。

鑑賞や評価に耐え得る演奏をするなら基礎練習は絶対だけど、きっとそれを身につけるには何年もかかってしまう。学生さんなら尚更、きっちり身につくまで基礎練習やったらそれだけで学生時代が終わってしまう。

じゃあ、その基礎練習をやらなければ音楽を自分で演奏して楽しむ資格がないのかと、そんな風に思ったらそれはそれで悲しい。音楽って、そんなに間口の狭いものだと思いたくない。

基礎が出来てないことに耐えられない人は身につくまで練習すればいいけど、それはともかく自分で表現することを楽しみたいなら、その美味しい部分を集中的に味わいに行くのもアリなんじゃないかな。

事実、この演奏会の学生さん達はみんな、それはそれは楽しそうに演奏していた。
曲を味わい、愛おしんで、ひたむきにその魅力を表現しようとしていることは十二分に伝わってきたもの。…下手は下手だったけども。

その世界を存分に味わい楽しむこと、それがアマチュアとして一番あるべき姿なんだと思うから、このオーケストラのありようは、その意味で正しいんだと思う。


…そして。でも。
いろんな事に手を出してはやめてきた自分の姿を思う。私のしてきたこと、していることは、まさに大いなるアマチュアなんだな。

基礎はすっ飛ばして、美味しいところをかじって満足する。ピアノも、歌も、…絵も。(ピアノは14年もやってたから多分基礎はさんざんやらせてもらえてたんだろうけど、如何せん本人の練習態度がなっちゃいないから、テキトーにしか身についてない。)

美味しいところをかじってきたから、そりゃもう楽しかった。でもきっと、鑑賞に耐えないものしか生み出せてない。
そのありように、良いも悪いもない。ただそこに満足するかどうか。

プロでもアマでも、優れた表現で高い評価を得ている人は、間違いなく基礎が出来てる。
そうなるまでに積み重ねてきた努力の時間と創意工夫が必ずあって、敬意を払うべきはまずそこなんだと思う。

クリエイターとしての勝負は、前提として基礎が出来たその先のことなのかもしれないけど、ちょっとした思いつきがウケてしまった付け焼き刃なアマチュア(いや別に具体例は思いつかないんだけど(^^;)が絶対敵わないのは基礎の部分なんだと、今なら解る。

今、私は、絵の分野で基礎ができてないことに不満を感じてる。物の見方、捉え方、表現の手順。知らないことが多すぎて、よくこんなんで描けてるつもりになれてたと呆れるほどに。

学生時代からきちんと学んで身につけてきた人には到底敵わないあれこれを実感しつつ、それでもまだ、今からでも頑張れば身につけられると、しょーこりもなく信じてる。

学生時代…例えば中1で絵を志した人が大学4年まで学んだとして10年の積み重ねとして、まだ私の人生、突然死ななければ余裕で10年以上学べる。若さはさすがに手に入らないし、仕事をしながらだから歩みはゆっくりかもしれないけど、20年かけてでも身につける価値はあると思う。年取って身体がきかなくなるまでに、とは思うけど(笑)。

…これまでいろんな「好きなこと」がありすぎて、それぞれにそれなりに楽しんできたけれど、いっこぐらい本腰入れてライフワークにするほどきっちり取り組むものがあってもいいと思うのね。
身につけてどうするんだと言われても答えようもないけどね。とにかく、進めるところまで進んでいってみようと思う。行くぜー!

(なんかまた、とりとめもなく長くなってしまったわ(^^;)