―――形ある確かなものですら、

確かであり続けたり、

確かだと証明できないことも多い―――



これは、ある方へのリーディングで

お伝えした言葉です。

どういう意味かというと。。。





まず、

「確かである証明」 ということにおいては、

たとえば今、家で使っている

机。イス。テレビ。照明。

これらが、自分の物である証拠は?

と考えたとき、難しいなと思ったのです。


せめて、自分の家にあるから、と証明できるでしょうか。

ですが、仮に、人の物を取ってきたとして、

それを自分の部屋に置いたら、

じゃあそれは自分の物かと言うと、そうではなく、

それはただ「盗品」になっちゃいます。

ということは、家にあるから~では証明できません。


レシートは?と思ってみても、

レシートの"それ"が目の前の"それ"だという証拠がない。


製造番号は?と思ってみても、

偽造したり貼り換えたりとまでいけば、

それも信憑性がない。


名前を書いても、後付けだし。

(子どもの持ち物に名前を書きますが、
あれは、その子の物という「認識」ですよね。
やっぱり深い所での「証明」となると難しいなぁと思います)



結局、今確かに自分の物で、確かに使っている物でも、

自分の物だということは、証明しづらいと感じました。





次に、

「確かであり続ける」 ということにおいては、

たとえば、地位であれば、

今は、部長。社長。総理大臣。大統領であっても。

次の瞬間にも、何が起こるか分からないのだから、

絶対的にそうあり続けることができるものって、

あまり無いのかも…と思いました。


時間も。

四季も。

地球の自転も。

それは確かに、「今」この瞬間は

分かりきっていて、間違いないことなのに…。

絶対そうあり続けるとは、言えない。


誰かが傍に、必ず居てくれる…とも。




―――形ある確かなものですら、

確かであり続けたり、

確かだと証明できないことも多い―――





私たちは、<目に見えるもの>は特に、

確かにここに今存在すると思っていますが、

上記のとおり、

絶対的な継続であったり

絶対的な証明は、案外難しいのだと思います。


では、<目に見えないもの>であれば尚のこと、

絶対的な継続…絶対的な証明…

それらの理解の域に達するのは、

人間には特に、難しいものもあるのではないでしょうか。




ぜひ一度、

こういった視点で、

周りの物事を見てみてください。

すべて不思議で。

すべてありがたい。

…あら、結局は「感謝」に行き着くのでしょうかね^^






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