いや、つくづくキャストとの関係・距離は難しいなと…
同じキャストでも、環境が変われば距離感は変わるし、キャストのために引く選択ももちろんある。
環境には推しも含まれるかな…悲しいことではあるんですが、周りが常に前に出たがることに(結果、我慢が続くことに)嫌気がさしたことは枚挙に暇がない。

離れることは可哀想と言われたこともあるけど、人として好意があっても、満足出来るものを得られない(ことが続く)なら、離れることは仕方ないし、割り切らなくてはいけない。

推し事はガチ恋でも主従関係でも修行でもないのだから。
満足を強要は出来ないし、逆に不満を強要される必要もない。

自分が得られる最大の満足、接客を求めに行く。それで十分。
お金を払ってるからとはあまり言いたくはないけど、お金で我慢を買うというのもまたおかしな話ですよ。

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大切な人を応援する、推す。
言葉では簡単、でも実態は難しいものです。

「推しと話したい(絡みたい)」は推しが殆ど思う。
でもこれが上手くいかずに悩む、これも推しの多くが思うことだと思う。

店の形態、他の推しとの兼ね合い…
推しの周りを空間と呼ぶなら、人推しと空間推しが重なることが理想だけどそんな都合の良いことはなかなか起きない。

その結果、良く起きるてしまうこと。
それは、「理想と現実のギャップ、またはバランスの崩壊」だと思う。

そして、これは大切な相手だから起きることでもある。だから、尚更つらい。
上手くいかないことで焦る、周りに負の感情を持ち出す。
そして、自分が推しに迷惑をかけていると責める。

そうなったら、辛いだろうけど引くことも勇気なんじゃないだろうか?
100%とは言わない(半分以下に)減らす、距離を置くことも大事だから。
推しとの距離感は、間違っていることが当たり前になっていることが案外多い。

少し離れることで、お互いに新しく・正しく見えてくる距離感や感情も少なからずあるはずだから。


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最近、よく考えます。
「『推す』って何だろう?」って。

定義は人によって違うでしょうから、正解は「1つではない」または「無い」とも思います。

ただし…
「周りを含めた相手(推し)より、自分を優先する」推し方は間違いだと断じたい。

当然、推す以上は楽しみたいわけですがら、自分本位になることは悪いとは思いません。
ただ、周りや推し本人に不快な思いをさせるほどなら話は別だし、残念ながら散見されると感じるのですよ。

周りで待ってる・我慢してる人がいるのに前に出るとか…
自分とだけ話してれば良いとか思ってるのかな?周りが迷惑に思えば、推し本人への悪影響が出るのは明白なのに…

「推し事」が「推し」に迷惑かけてたら本末転倒だよ…
(そういう行動に出る輩は考えてもいないでしょうが…)


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