今年は年明け早々、能登半島地震や、
日航機と海保機が羽田空港で衝突・炎上といった、
天災・大事故が続きました。
能登半島地震が起きた後、日本政府は最初、
わずか千人の自衛隊員しか被災地に動員しませんでした。
その後徐々に動員数を増やしてましたが、
大地震が起こった後、
がれきの下に埋もれた人々を救出するのは72時間が生命線で、
初動の遅れは致命的です。
さらには、台湾政府から援助の申し出があったにも関わらず、
日本政府は「災害の規模からみて、援助の必要なし。」と、
援助の申し出を断ったそうです。
まだがれきの中に人がいて、
道路があちこちで寸断され、共演物資も不足し、
トイレ、暖房、水道、
食料といった必要不可欠なものさえ不足してるのに。。
岸田政権は、被災地の方々より、
総選挙のことに意識が行っているようです。
道路が寸断されている場合、
空からの物資の輸送が不可欠ですが、
その役目を担った海上保安庁の輸送機が、
日航機と衝突・炎上してしてしまいました。
この事故でも、なぜか海保機は、
管制塔から離陸の許可を受けてないのに滑走路に侵入し、
しかも滑走路上で40秒も停止し、
その結果、日航機に追突されました。
海保機は、なぜ滑走路に侵入し、
しかも40秒も停止したのか。
釈然としませんが、海保機の乗組員6人中、
機長を除く5人の方々は、
まるで口封じのように亡くなってしまいました。
事故が起きた当日、
海保機の機長は「着陸の許可を受け、滑走路に入った。」
と証言したそうですが、
一命はとりとめたとはいえ、
日航機に追突されて重体だった機長が、
会話なんてできたんだろうか?
そして、数ある航空会社の中で、
海保機と衝突したのは、
かつて墜落事故が起きたことがある日航機でした。
負の連鎖、というものは有るので、気を付けたいですね。
年の最初に起こったことは、
その後も尾を引くかもしれません。
拙ブログにも書きましたが、私は去年母を無くしました。
ほんの一か月くらいまで生きて動いて話もしていた人が、
灰になってしまった。
人間って簡単に死んでしまうんだ、と痛感しました。
母には、もっともっと色々してあげたかったけれど、
後の祭りです。
生きてるってことは、当たり前じゃない。
自分達の日常生活でも、大病を患うかも知れないし、
車社会の中では、毎日が危険と隣り合わせです。
むしろ、日々、
命があることに感謝しないといけないですね。