皆さま、またしてもお久しぶりです。
四月に「人生は短い」というブログを書きましたが、
翌月五月に、母が他界しました。
世界の救世主と呼ばれるジーザスは、
もし、偉くなりたければ、また、天国に行きたければ、
人に仕えなければならないと言った。
もしそれが本当なら、先日他界した私の母は、
天国行き決定だろう。
私の母は、義理の父母と父を世話し、
私を含む二人の息子を産み育てた。
近所の人々も良く世話をしていた。
無償の愛を実践するという点では、
女性は男よりも遥か勝っている。
私の母が現した愛も、見返りを求めたり、
天国に行くための条件打みたいな算的な思いとは、
全く質が異なっていた。
その母は晩年、認知症、脊柱管狭窄症、
更にはすい臓がんにもかかってしまった。
母は医者から「癌の可能性が高い」と言われた時、
「そんなはずはない。誤診だ。」なんて言って、
医者に行くのを止めてしまった。
なので病気の進行状況は分からなかった。
母は元気そうにはしていたので、私は母を、
散歩や買い物や食事、そして旅行にも連れて行った。
生涯に渡って人の世話をしてきた母は、
人の世話になることに慣れてなかった。
私が何かしてあげるたびに、
「ありがとう。こめんね。ごめんね。」と言っていた。
謝るのはこっちのほうなのに。。
母には世話になりっぱなしで、
何にもしてあげることができなかったのに。
認知を患った母は、料理も、ATM の操作も、
かつては簡単に出来ていたことが出来なくなっていた。
元気で丈夫だった母の印象が強かった私は、
変わり果てた母の姿を、
心から受け入れてやることが出来なかった。
前は簡単にやってたことが何でできんの?
みたいなことも言ってしまった。
本人が一番苦しんでいたはずなのに。。
私は、いつか、奇跡的に、
元気な母が戻って来てくれるんじゃないかという、
淡い期待を抱いていた。
だが、現実は甘くなかった。
母の膵臓にあった腫瘍は、肝臓から来る液を遮断し、
肝不全となり、母は他界した。
正に「親孝行したい時に親は無し。」
「愛されなかった恨みより、
愛せなかった恨みの方が方が強い。」
って誰か言ったけど、本当ですね。
母には申し訳ない思い出いっぱいです。