明治政府の背後で暗躍した侵略勢力の「悪魔の知恵」4 | Subaruのブログ

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間が空いてしまいましたが、
前回の blog の内容に引き続きまして、
信心深い日本人が、なぜ、
「廃仏棄釈」の波に乗って、
仏像や仏塔を破壊するような野蛮な行為に走れたのか、
その点を考察してみましょう。

実は、この問題は、掘り下げると結構奥深く、
江戸時代の頃にまでさかのぼってしまうのです。

既に学んだ通り、
1549年に Spain, Portugal からキリスト教宣教師が日本に来派遣されてた時から、
日本は、
Europe ユダヤ・キリスト教勢力からの侵略の危険にさらされていました。

しかし、日本侵略の危険を察知した豊臣秀吉や徳川家康は、
Christian 弾圧という強攻策をとり、
最終的には「キリスト教禁令」という形で、
Europe 侵略勢力の侵攻を瀬戸際で食い止めました。

イエスの説いた教え自体は平和思想でしたが、
当時の Europe 侵略勢力は、
間違いなくキリスト教を侵略の道具として使っていました。

大変興味深いことに、
イエスは生前中に、将来、
自分の名前を利用して悪事を働く者たち出現する、
ということを予言していました。

皮肉にも、この、
イエスの名前を使って侵略、略奪、殺戮などの非道を行う Europe ユダヤ・キリスト教侵略勢力の出現によって、
イエスの予言は実現してしまったことになります。

家康は、キリスト教のことを

「命を軽んじる教え」

と評したと言います。

この言葉は正に、家康という人物と、
家康のキリスト教に対する考察の深さを表していると思います。

キリスト教は、犠牲の愛を説く宗教ですが、
時として、
Christian 達に対して、信仰を貫くために、
死ぬことさえ強要する側面もあるのです。

神の為に死ななければならない、
という考え方は、神の為には、
時として殺さなければならないこともあるという考え方につながり、
この宗教が政治と密接に結びついた時、
多くの人々は戦争へと駆り立てられます。

それ故、
このキリスト教を受け入れた国々は、
ほぼ例外なく、
闘争と殺戮の歴史を歩まされてきました。

私は、個人的には、
徳川家康によって打ち建てられた徳川幕府とは、

「あの、地獄のような戦乱の世を、
この日本に再びもたらさない」

という誓いと共に建てられた政権だったと思います。

国内を一つにまとめ上げた徳川政権は、
平和統一国家を磐石なものにする為、
キリスト教を禁教にした後も、
江戸幕府を設置した後、
外敵からの侵略を封じる為に、
様々な政策を講じる必要に迫られました。

その一環として、江戸幕府は、
「五人組の制」を形成することや、
さらには、
勝手にタバコなどを作らせないために
「田畑勝手作りの禁止令」を出し、
作れる物は米・麦・黍(きび)・粟(あわ)・豆だけに制限することなどの規制を行いました。

この「五人組制度」は、
幕府に反逆を企てる者を密告する制度だったと言われますが、
実はこの制度は、
諸外国の侵略勢力に密通している人間を取り締まる、
つまり「Spy 防止」が主な目的だったようです。

それを裏付けるかのように、
現代日本人の多くは、この、
江戸時代に行われた「五人組制度」を、
negative に評価しています。

今の日本には、
侵略勢力と密通しているとしか思えないような、
売国政治家、売国教師、売国 mass midea で蔓延しています。

Spy を防止する為の制度を negative に評価するのは、
ある意味当然と言えるでしょう。

また、この当時、England は、
中国にアヘンを蔓延させていました。
Englad は、
アヘンで中国の人々がパープリン状態になった頃、
中国に武力侵攻し(「アヘン戦争」)、
中国に対する支配圏を拡大していきました。

日本の幕府がかつて、
農民達が栽培できる作物を規制し、
勝手に自分達が栽培する作物を決めるのを法律で禁止てしていたということは、
その時点で、
Europe 侵略勢力が中国に対してアヘンを流入させているという情報を catch していて、
先回りして防御線を張っていた、
と考えられます。

また、徳川幕府は、
豊臣秀吉の時代に行われた「刀狩り」を継承していたので、
侵略勢力が国内の不満分子を先導して、
国家転覆を図る反乱や革命を起こせないように対処していたのです。

江戸時代の先人達は、
外敵に対して厳しく警戒し、
侵略勢力の侵入を食い止める配慮をしていました。

このように、改めて考察を入れてみると、
先人達の国防に対する認識は、
現代の政府より遥かに高かったことに気付かされます。

というより、今の日本は、
日本に spy が入り易いように、
テロが起こしやすように、
今の日本が侵略勢力に対して「まな板の鯉」状態になるように、
着実に準備を進めている人々に対して、
ほとんど規制が行われていないどころか、
売国奴の人権が尊重されているような状況です。

もう既にご存知の通り、
侵略勢力は、侵略したい国を、
あらかじめ内部崩壊させたり、弱体化させてから、
その後本格的な侵略を行います。

国を内部崩壊させる方法としては、
キリスト教を流入させる、
アヘン等の有害物質を蔓延させる、
反乱・革命を起こさせる、
などの方法がありますが、
徳川幕府は、当時、
これらの「悪魔の侵略」を防ぐために、
様々な法整備と実力行使を行っていたのです。

そして、徳川幕府は、
当時侵略勢力が常套手段として使っていたキリスト教の防御壁として使ったのが、
「仏教」だったのです。

侵略勢力が日本の Christian 達と密通して侵入してこないように、
日本国民の家は必ず仏教の宗派の一つに属さないといけないという、
いわゆる「檀家制度」が敷かれました。

この政策に対して、
当時日本を代表する天才的学者だった新井白石は、

「狼を駆逐するのに虎をつかうようなもので、
それはそれで懸念がないわけではない。」

と評しましたが、
この表現は言い得て妙だと思います。

キリスト教への対抗策として用いられた仏教は、
政府の手厚い保護を受け、
その後、政治権力と結びついていきます。

仏教界は、冠婚葬祭や、住居移転の証明さえ、
寺請証明という証明書を発行して請け負うようになり、
ここ日本の歴史始まって以来の、
仏教界における
「宗教バブル」の時代が訪れました。

かくして日本の仏教界は、
仏陀の法を説く本来の使命から外れ、
お役所的な仕事へと変遷を遂げてしまったのです。

仏教とは、
仏陀が、王宮の栄耀栄華を捨て、
妻子とも離れ、
愛別離苦の極致から見出された教えでした。

ところが江戸時代においては、
お坊さんは、
人が死んだら遺族のところへ飛んで行き、
お経唱えてお布施をもらう、
つまり、原価を極端に抑えた、
格段に利益率の良い宗教 business と化してしまいました。

現代、
「葬式仏教」と言われるような仏教の形骸化は、
この頃始まってしまったのです。

その当時は、
「坊主丸儲け」とか、更には、

「経も読まずに布施を取る」

なんて言葉もあったそうです。

坊さんがお経も読まないで布施だけ取るということは、
働かないでお金だけもらう、
ということなので、
これは仏教とは名ばかりで、
どちらかというと、
「労せずして他人の富を自分の元へ引っ張ってくる」という、
ユダヤ式不労所得 business の類になります。

今の日本でも、
「ほったらかしで月10万円の収入!」
なんて、
プチ・ユダヤ式の business を試みる人もいますが、
そういう点では、当時の日本仏教界は、
時代の最先端を行く business 形態を構築していたことになります。

ただ、お釈迦の名前を使ってそれをやっていいのか?
という疑問や憤懣も、
当時の人々には蔓延していたようです。

それ故、
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」
と言われるように、
坊さんは、
憎しみの対象にまでになってしまったのです。

そして、その坊さんに対する憎しみは、
明治政府が建てられてから、
袈裟までどころか、
仏像や仏塔に対してまで向けられるようになったのです。

それにしても、
今の日本人より信仰心の厚かったはずの先人達が、
仏像・仏閣を破壊したということは、
当時の仏教界は、
どんだけ腐敗してたんだ?
と考えざるとえません。

Europe ユダヤ・キリスト教勢力を排斥して、
260年にわたって続いた太平の時代。

しかし、
日本を攻略できなかった侵略者たちの怨念は、
「仏教界を腐敗させる」
という形で、
その爪痕を残していたのです。

そして、
日本人にとっての大きな精神的支柱であった仏教界が堕落しきった頃に、
侵略勢力は、
後に史上最強の侵略国家として君臨する、
「America 合衆国」を差し向けてきました。

徳川幕府を開いた先人達は、
侵略勢力に対して、
あらゆる手段を講じて対処しましたが、
侵略勢力は、
更にその先を行き、
再度の日本侵略への布石を打っていたのです。

このように、侵略勢力とは、
国という level と、世代を超えて、
性懲りも無く日本に挑みかかってくるくどい連中であることを考えれば、
侵略勢力とは、正に、
「悪魔勢力」
と呼ぶにふさわしいのではないかと、
私は思うのです。

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