気になる予(預?)言  | Subaruのブログ

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「マタイによる福音書24章 (一部)」 (新改訳聖書から抜粋)

そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。
屋上にいる者は、家からものを取り出そうとして下におりるな。
畑にいる者は、上着を取りにあとへもどるな。
その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。
あなたがたの逃げるのが、冬または安息日にならないように祈れ。
その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。
もしその期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう。
(中略)
そのとき、ふたりの者が畑にいると、ひとりは取り去られ、ひとりは取り残されるであろう。
ふたりの女がうすをひいていると、ひとりは取り去られ、ひとりは残されるであろう。

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東北大地震があった時、大津波が起りました。
津波の時は、なるべく高い所へ逃げなければなりません。
もちろん、後戻りなどはするべきでありません。
身重の女性は、逃げ後れてしまいます。
また、乳飲み子を持った女性が、
子供を抱きかかえたまま波に飲まれ、お亡くなりになったという話も聞きました。
地震が起った日は、3月11日、金曜日でした。
安息日は土曜日です。
東北の冬は厳しく、真冬であれば、被害はさらに大きかったでしょう。
土曜日であったら、自宅に留まっていた人も多かったでしょう。
料理などで火を使っていれば、火事などの二次災害が増えていたかも知れません。
原子力発電所が破壊され、放射能汚染が今も続いていることを考えれば、災害は今も続いています。
その期間が縮まらないならば、確かに、大変まずいことになるでしょう。

津波の時、
二人の人が逃げていたが、一人は波に飲まれ、もう一人は助かったという話も聞きました。
助かった人は、そのことがトラウマになってしまったとも聞きましたが。。


聖書の話の中には、読んでいて首を傾げるような、
時として憤りを感じるような内容も数多く出てきます。
なので、聖書という書物は、個人的には、
有り難く拝読するという気は無いし、
予言など、様々な解釈ができるし、
その予言自体にも、どれほどの意味があるかも分かりません。

上に書いた内容も、的外れのことを書いたかも知れません。
ただ、上記の聖書の箇所を読む度、
先の東北大震災と、
重なる内容が多いように感じてしまいます。

ただ、願いは一つ。

頑張れニッポン。。

被災地では、放射能汚染の危険がある中、現場の復旧作業に取り組んでいる方々がいらっしゃいます。

英語では、こういった作業は "Suicide Mission" と呼ばれています。
つまり、自殺行為的作業とも言える作業を続けておられるということです。

「人がその友の為に命を捨てる。これに勝る愛は無い。」

イエスの教えを聞かず、知らなかったとしても、
利他愛をを実践する人々が、
日本にはいます。

そんな、名も無き英雄達、
そんな"選民"達の故に、
患難の期間が縮められることを、
信じております。