もう少し書きたくなってしまった。
まあ、自分の Blog だし、
ここは勝手に書かせてもらおう。
真央ちゃんの、
最後の Program での Performance、
本当に素晴らしかった。
しかし、、、
真央ちゃんが142.71点で、
1位の選手は149.95点。
この差は一体どうやってつくのか、
良く分からない。
審査基準の中に、
interpretation といって、
「曲の解釈」とかも入ってるそうだ。
音楽家じゃあるまいし、
どうして曲の解釈なんて項目があるのかも分からない。
それなら、いっそ、日本の Skater 達は、
日本の名曲を Skate 用に Arrange して、
審査員に意味を説明してから、
滑るというのも一つの方法ではないかと思ったりもする。
欧米の Skater 達は、
Anglo-Saxon で肉食系(好色という意味ではなく、肉をよく食べるという意味ネ。)
だけあって、顔立ちもきつく、
動きも派手だ。
審査員受けする動きも心得ているのだろう。
しかしそのケバい顔と派手な Costume の他に、
心に残るものが少ない。
それに対して、
真央ちゃんの Performance は、
Spin とか Jump とか、
そういうものも凄いが、
それだけでなく、何か、
日本舞踊を思い出させるような、
調和の美があったようにも思う。
そこには、真央ちゃんの作った空間、
いわば「結界」のようなものを感じた。
そして、演じるその姿は、
「神の領域」
あるいは
「菩薩の境地」
といった言葉を思い起こさせた。
ちなみに、
仏の本来の姿は「如来」というが、
「菩薩」とは、人間として生まれ、
人としての苦悩をことごとく通過した後に、
悟りを開いて仏になる者のことを言う。
それ故、芸術を極めた者は、
たとえ数分間であったとしても、
Performance をしている間は、
「我を見し者は、神を見し者」
の境地に入っていくんだと思う。
だからその姿が、
心に刻み込まれていくのだろう。
だが、
残念ながらそれは Judge には審査できない。
今の skate 選手達は、
あそこで何点取ったとか、
あそこで何点落としたとか、
滑りながら自分の点を計算する傾向があるそうだ。
つまり、極端な言い方をすれば、
要領のいい点取り虫が勝ちやすいということになる。
実社会では、脱サラして起業したいが、
失敗したらまずいので今の会社に居続けるとかいう話はよく聞く。
だが夢を見せてくれるはずの Olympic の Performance で、
実社会と似た真似をされるのは、
観る側の Excitement も削ってしまうし、
やる側の Challenging Sprit も奪ってしまうのではないか。
Performance の最初に転んでしまったら、
その時点でもう挽回することが極めて難しい。
気持ちは泣きそうになりながらも、
それを抑えながら、
顔は笑い続けていなければならないのだ。
酷な競技だと思う。
どんなに難しいことに果敢に挑戦しても、
失敗したら取り戻しがきかないという採点 System は見直すべきじゃないかと、
私は前から思ってきた。
でも、思ってるだけでは何もならない。
この Blog にかいたところで、
すぐ何が変わるというわけでもないだろう。
それでも、
問題をこのような Public な Internet 上に提起することで、
人々が考えるきっかけをもてれば、
一歩前進だと考えたい。
「積み上げたものしか、残らない。」という理(ことわり)は、
当然のことだが、
とても大切なことでもある。
で、今回はこのことに関して、
ここから少しだけ UC の話につなげてみたい。
日本の UC の member 達は、
人に嘘をついたり、
借金したりして献金をし続け、
そのお金で建物や土地を購入し続けてきた。
だがそれは、
積み上げてきて得たものではなく、
いわば「砂上の楼閣」だ。
なんぼ苦労したと言っても「積み上げた苦労」とは、
質が異なるのだ。
だから横領だとか、
変なことをされたりする。
また、教会の Leader 達は、虫が食い、
錆び付いていく「地上の宝」である土地や建物をめぐって、
全く意味不明の裁判闘争を続けている。
そしてその姿は、傍目から見ても、
醜く、全然美しくない。
そして、そういった地上の宝は、
嵐が来れば、吹き飛ばされてしまうのだ。
まあ、人間、
失ってみて初めて見えてくるものもあるかも知れない。
日本の UC Member 達は、
あまりにも長い期間、
あまりにも高い授業料を払いながら、
あまりにも当たり前のようで、
あまりにも大切なことを学ばなければならない時がいい加減来ている。
「天国」は、地道に、
人に喜ばれる努力を続けることで建設していかないとね。
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