前回のあらすじ
今年も今から54年前と同じように11月25日がやってきた。本田の記憶なかから毎年11月25日になると54年前の東京五ケ谷でおこった事件の事が思い出されてくる。
作家三島由紀夫が盾の会のメンバーと自衛隊に乗り込んでバルコニーから演説したのち、長官室で割腹自殺した。本田は21歳の大学生だった。この作家の存在を知ったのは西国の山村で受験勉強の傍ら読書に没頭しているころだった。二十歳前の本田には煌めくような人物だった。
その男が自らの命を割腹という手段で絶った。その日、本田は神と霊界と永世の世界を知る唯一の手段である宗教の世界の入口にいた。それから54年の歳月が過ぎた。
75歳になって再び生と死、肉体と魂、正面から向き合う最後の年齢になったと考えはじめた。
街にはクリスマス商戦が本格的に始まっていた。アーケド街には人が多くて流れに逆らって歩こうとするだけで風圧を感じる時もあった。
もうすぐ喧騒だけのクリスマスがやってくる。
11月最後の日曜日の礼拝後、友人家族と談笑する時間を近くファミリーレストランでもった。月一回の”集い”は本田も日常の仕事の縄目から解放されて魂が自由に飛翔する貴重な時だった。
集ったのは3家庭。本田勝一と妻、橘武と妻と小学生の男の子の孫、もう一家庭は大学受験生と高校受験生を持つ木村一二三と妻。
妻たち3人と子供たちは何時ものように別テーブで周囲の親子連れの賑やかな雰囲気に溶け込んでいた。
男3人は奥の角一画の席に自然と着席してしまった。
日曜日の昼時のファミリーレストランでは異質の存在で有ると3人とも自覚はしていた。
話題は戦前の話からキリスト教や宗教の話になっていった。
友人の橘武が「戦前の教えのなかに日本人は『天皇陛下の赤子』というのがあったらしいがそれと宗教にも似たような教えがあると思える話が多々ある事に気がついたね」
本田が「その戦前の話は父親や祖父から何度か聞かされた事があったね。数年前かね、テレビで以前放送した番組を紹介するページにこの『赤子』という言葉があることが検索して判ってね。開いてみると僅か10分足らずで本放送番組のダイジエスト版で放送内容はほとんど判らなったね。それよりも父親や祖父から聞いた内容のほうがずっと濃かったね。体験者の語る言葉の力というものを感じたね」と言った。
「赤子とは言わないけれど宗教にも神の子、仏の子という表現は多くあるね。特に”新宗教”と言われる宗教にはね。私も多くは知らないけど開祖と言われるある宗派の創始者は俗にいう霊感によって悟りというか体験を得ているね。その教えを人々に理解させ、会得させるために言語で表現する人が開祖自身である場合もあるし、言語能力に長けた人物が担当した教派も有ると理解しているね。だが、それなりに説得力があると僕は思っているね・・・」家庭連合に信仰を持つ以前は日本の新宗教といわれる仏教系の宗派の会員だった木村一二三が言った。
本田も「僕もこの家庭連合に来る前は、僭越な言葉だが自分も開祖が達した心の状態に到達できる可能性があるならその世界を会得してみたいと思っていたんだ。16歳の時、俗な言葉いうと”味わって”から死んでこそ生きている意味があると感じたものなんだ。その年齢の時は漠として言葉にも成らなかったがね」と言うと
「何で?16歳なの」と木村一二三が聞いてきた。
本田は「小学校の高学年から心に決めていた工業高校の受験で不合格になって、絶望になって自殺まで考えたんだ。それからだね。色々悩み始めたのは・・・」
後を受けて橘武が「俺も高校生のころ街でキリスト教の人に『うちの教会には十字架はないんです』という外国人の若い宣教師に誘われた教会に行った事が始まりかな?でもキリストを信じるのも良いけど。ヨハネ福音書1章12節『イエス様を救い主と信じた人々には、神のこどもとされる特権をお与えになった』、ローマ人への手紙8章14節『すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である』ローマ人への手紙8章14節『すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である』という文字にあるように”神の子になる”という文字に魅かれたのが率直な気持ちだったね」と言った。
続けて橘武は「この神の子になりたいという究極の自由こそ「信教の自由」たる”自由”だと思っているからね。昨今の家庭連合、マスコミでは旧統一教会は”悪の権化”といっているようだねが日本の憲法で保障しているという信教の自由の話題などマスコミではいろいろ言って、書いているようだけれどね。
俺はもう一度言うけれどね「この神の子になりたいという究極の自由こそ『信教の自由』たる”自由”だと思っているからね。
憲法の文面では
〔信教の自由〕
第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
この20条の冒頭で”信教の自由は何人に対してもこれを保障する”という文言。
マスコミ等ではこの解釈に対していろいろ言っているようだけどね。
これをどう解釈するか、これをどのように保障するか・・また、関連する憲法条項、これまでの裁判所の判例など素人がこれを解釈するのは素人解釈にすぎず、専門家と言った国家資格を有する人物の責務であると思ってお任せしたほうが良いという結論に至ったね。僕は・・」
橘武がボソリと言った。
木村一二三が「宗教、信仰の世界は言うなれば人間が持つ“霊性”の世界、この”霊性”という人間がもっている姿をいかんなく発揮したのが世界宗教の開祖だと思っているんだ。これを法律で論議するには世界規模の国際法の論議が有ってしかるべきだと思っているんだ。俺はね」
「家庭連合の教義は突き詰めると簡単なんだ。神は父母であるといっているんだ。今まで”主”、”神”、”父”、”親神様”といっている宗教は多いが神を”父母”といっている宗教は少ないんじゃない、詳しく調べていないけどね。
それともう一つ。卑近な言い方で申し訳ないんだけどね。子犬を飼っている子供がいるんだ。その子供はメッチャその子犬を愛しているとするんだ。色々と躾も教えその子犬を目一杯愛していたんだ。親のようにね。その子犬が亡くなって時、その子供の喪失感に親は何と言ってやるかね。『息子よ、お前はこの子犬の”親”だったね』というかね。『”親のよう”だったね』とはいえるけどね。信仰者が言う『人間と神様との世界はこれと同じだ』と思うんだ。信仰者は自覚しているんだ。『自分はこの神様から生まれたものなんだ』とね。『肉体とあらゆる愛情は生みの親から与えられたが、その根底には、その根源には神様から生まれたんだ』と自覚した人が真の信仰者だと思い始めたね。だから江戸時代に磔になったり火焙りになっても”背教”や”排教”を強要されても打ち勝って”死んでいった”だとね」
ヌーボー(nouveau)とした橘武が笑顔になって言った。
子供たちが退屈し始めたのか女性たちが立ち上がって帰る準備をし始めたのが遠目に見えて男たちも話の区切りをつけて席から立ち上がった。
自動ドアが開くとアーケド街は風が抜けていっていた。
今年の気温は温かいといってもやはり初冬だった。
木村一二三が「今年は本当に秋が無かった」と言った。橘が「いやぁ春も無かったね」
「春か?!もう私の記憶の中から消えてしまっているね。どうだったかかね?・・・もう1カ月で新しい年か!」の本田の言葉に二人が相槌をうって応じた。
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