日記風小説 こころ(7)小さな親戚の輪が拡がる・・! | 小説 ♪絶唱♪

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ドキメンタリ-風小説絶唱
epilogue《エピローグ》小説それから
第3部 こころ 75歳になった男が感じる天の役事
第2部 共鳴太鼓 未来を背負う若き世代の物語
第1部 やまぶきの花 戦後まもなく生まれた男が生きた昭和、平成、令和の物語。

  

前回のあらすじ

 70歳を越えた本田勝一は韓国仁川空港から空路日本国HIROSIMAに帰国する事になっていた。空港の出発ゲート前のソファでうたた寝をしていると帰国バスの中で座席が隣合わせになった青年がこちらに向って歩いてきた。田中高景と名乗った青年は40日間の修練会を卒業して2カ月ぶりに故郷に帰ると言った。『40日間で僕の心の奥底に煌めく何かを発見できたように思います』と俯いていた顔を起こし本田を見あげた。本田勝一は目の前にいる田中高景が悟った煌めくモノに自分も触れてみたいと切実に思った。

 

 広島空港に着いたのは10時過ぎだった。リムジンバスに乗り広島駅までは1時間だった。駅前の駐車場に妻の静香が軽自動車で迎えに来ていた。

「御苦労さんでした。お帰りなさい」後の座席に旅行用バックを入れ本田は助手席に乗り込みドアを閉めた。

「ライブ配信でイベントの様子は見ていたわ。かなりの人だようね」静香は左右の車に注意を払いながら言った。

「会場はほぼ満席状態で3階の席まで埋まっていたからかなりの人数だったと思うよ。向こうで南坂さんの長女と奥さんに偶然あったよ」

「ホント!朱美さん元気そうだった?」

「少し痩せてはいたけどだいぶ元気になってきたね。亡くなってやっと半年経っただけだからね。3年経つとやっと落ち着くというからね」

「ところで今度の日曜日、教会で合同の礼拝はないのよ。隣の市に住まいのある人達が月一度ボランティアで公園の清掃活動を6年くらいしていらっしゃるの、その方から連絡があってね。皆さんが集まるからボランティアの後、シートを広げて食事会しょうというの。御主人と一緒に参加しない?と連絡があったの、出かけてみる?」

「隣の市と言うと?」

「息子が生まれて貴方が会社を辞めて,どん底を覗き見た時に就職した会社よ。その勤め始めた会社が移転したので、当初、中古のホンダの50CCバイクで通っていたあの場所よ」

「あぁ、あそこの街」

「そうよ、貴方にとって思いでの街でしょう?」

 

 昭和五十八年(1983年)三十四歳になっていた。大晦日に近い日、東京から新幹線の広島駅で下車し、不動産屋さん探しから始まった。駅の近くあると目星をつけて歩いたが数は知れていた。何しろ人口の少ない地方都市である。JRを乗り換えて二駅目でやっと値段と間取りの手ごろな物件にであった。

 最初入社した会社は月刊の経済誌を出版していた。市内各所の企業を訪問し紹介記事書きが私の仕事だった。おかげで市内の様子が理解できた。私も三十三歳を超えていた。「もっと安定した会社、もっと給料の高い会社と」思って翌年、外資系生命保険会社に転職した。夏の暑い七月に長男が誕生した。三千八百グラムだった。妻は悪阻で足掛け五カ月の間入院していた。私が三十五歳妻が三十二歳だった。

   自分の性格と社会経験の乏しさで営業職は無理だとわかってきた。十月の給料は九万円ばかりだった。ここから家賃三万五千円光熱費、食費、引算すると・・・。会社に通いながら職安に立ち寄り、求職ファイルを捲る日が続いた。その会社は十一月で退職した。大晦日に近い二十七日。求職ファイルで見つけた食品製造メーカーに面接に出かけた。バイクに乗って海岸の方角に走ってゆくと工場とアパートが並んでいる一角に工場があった。鉄の階段を上がると事務所があった。

 面接してくれた担当者はまだ若く「盆、暮れの無い仕事です。今からお正月明けまでもっとも忙しい時ですので、明日からでも来ませんか?」コンビニに弁当を卸しているメーカーだった。私は即答した。

 これで『やっと年が越せる』

 3か月の乳飲み子と出産したばかり妻の顔が浮かんだ。

 貯金通帳の残高が四万四千円だった。

 自分にとって家族にとってどん底の生活に追い込まれつつあるのは感じ取っていた。

 この会社に拾われた。県内でもこのコンビニチェ-ンの数は30店舗に満たない時だった。社員は十数名でパートさんが三倍強の従業員だった。コンビニと取引が始まってまだ二年目、中国地方でのコンビニの普及はこれからだった。業務は午前三時から始まり夕方は最終納品がおわり、明日の準備の仕込み作業など全てが終了するのは夜七時ころだった。その1年後将来の規模拡大を計算して工場が隣町に移転した。日本遺産である宮島を対岸に臨む地だったが行政区分としては町役場だった。

 その後、町村合併もあるが市に昇格し現在の人口は116000人までになった。

 

 あれから40数年が経っていた。

 本田勝一は国道2号線を西に走った。走りながら勤めていた工場を見学してみようと思ってハンドルを右に切った。街は一変していた。国道に直角に北に延びていた道路が判らないくら建物が並び新しい道が幾本もあった。記憶を頼りに高速道路の下を抜け、高速の土手下の道を少し昇るとかって勤めていた工場があった。

 工場の正門もオレンジ色の建物もそのままだった。今は稼働していないのか入り口は鉄鎖で施錠してあった。正門の鉄製の扉は錆が浮き出でて赤く変色し二階建の工場の壁面に描かれていた鮮やかなオレンジ色の工場名のサインは色落ちして確実に30年の歴史を刻んでいた。

 車を道路脇に止めて工場の2階を見あげた。

 毎週日曜日の午前5時、教会行事である一週間の出発の朝の挨拶式を流れ作業の合間に”トイレ休憩”と称して作業を抜け出てトイレの中で奉じた。

 思い出はスマホの動画を3倍速で廻しているように蘇ってきた。

 

「お父さん!そろそろ出かけないと遅れるわ」車の中から声が有った。本田は我に返って運転席に座りナビの画面を確かめて北に向って車を走らせた。

 街は変貌していた。道が幾本もあり住宅街が山裾に向って伸びていた。

 ナビを頼りに集合場所の公園にやっと到着した。

 山裾を切り開いて造成したっ住宅街だった。公園もなだらかな傾斜地だった。 徐々に人が集まり総勢12人だった。

 駐車場周辺の落ち葉をかき集めて廃棄袋に詰めてゆく。まだ紅葉には時間が必要だった。木々の葉は青々としていたし広場の芝生はまだ成長していた。

 1時間ばかりのボランティア活動が終わり青いビニールシートの上でしばしの歓談が始まった。家が立ち並ぶ中を走る道路の先に瀬戸内海の青い海が見える。

 各自持ち寄った食材で小さな野外パーティが始まった。

 

  住まいは各々違った地域だったが『ワンファミリーアンダーゴットOne Family Under God』の小さな親戚だった。

 同じ心情世界を持っている安心感は大きく、様々な話題が飛び交った。

  この集いの中に仲の良い3人の夫人がいた。日本人の父母が南米に渡り開拓地で生まれた3姉妹だった。家では「日本語、外では現地の言語」だったと言う。帰国したのは小中学生のころ。日本語での会話は出来たが読み書きは苦労したようだった。学校で先生は特別に時間をとってくれて日本語を教えてくれたと感謝の言葉を添えて語る。

3人とも現地での苦労、帰国してからの苦労を微塵も感じさせない明るさがあった。この明るさはこの姉妹が乗り越えてきた感謝の証のように思えた。

 小さな親戚の輪は波にように広がる力をもっていると感じた。

 

   毎週火曜日更新予定