これまでのあらすじ

 学園創立110周年記念に開催される文化祭に和太鼓チームが演目「イエス・キリスト」を演じる。和太鼓チームの部長上村佑子がナレーションを担当する。主役の太鼓の音が表現する世界を言葉で補う。これも太鼓のバチをにぎる部員とは異なった苦闘だった。

 

  明日から夏休みが始まる。7月24日月曜日午後個人面だった。学園全体に浮足立ったような雑音が響いているようだった。

 夏休みの期間に対外試合のある生徒は休日でもあり授業日数を気にすることなく対外試合に臨める。市内から通ってくる生徒は市内の塾や学習塾に参加する事も自由だった。学園でも受験専門校とのオンラインの授業を取り入れていてこれに参加する事も自由だった。さらに学園独自の特別補講授業も開催していた。

 3年生にとってはこれから本番の受験シーズンが始まる。この夏休みのエポック期間は個人の自主性が要求される期間だった。学園も16歳から18歳までの生徒の未来を左右しかねないこの期間をどう過ごさせるか・・・高校教育を担っている学園としてもこの期間は大切な時間でもあった。

 学校が閉鎖になるのは8月11日の「山の日」から23日の2学期の始業式まで。この期間は学園から生徒の姿がみえなくなる。

 

 小川清は24日午後の面接が終わって和太鼓クラブのある部室に入った。

誰もいなかった。

 手足と全身の準備運動をして太いバチを握って大太鼓を前にして深呼吸した。

 一打した。音が出る時間の遅さにちょっと戸惑った。

 

 楽譜の中にある表打ちのパートを演奏する光永誠先輩の大太鼓の音が耳元で響いているような幻聴を聞いた。

 

 1打、1打。演目の天地創造の最初の場面が幻のように頭のスクリーンに映しだされた。

 男と女の誕生から光永先輩の大太鼓の表打ちの音が軽快なリズムに変った。

 大自然のなだらかな山裾の麓だった。

 滝があり緑の木陰、空には輝く太陽があった。

 無邪気に遊んでいるアダムとエバ。周辺の植物の四季の変化、時間ごとに季節ごとに泉に集う動物の種類が違っていた。それを見ながら感じながら成長するアダムとエバの姿。

 

 大太鼓の音は時間の経過だった。

 呼応する中太鼓二つ。成長する男の子と女の子。

 女の子の打つ中太鼓の音がリズミカルに変化していった。それに呼応するように男の子の中太鼓の音が後に続く。

 

 小川清はこの二つの中太鼓を自分の奏でるリズムに乗り換えさせる。音符には調子の違う音符が記載されてあった。

 

 音符を見ながら一振りする。表打ちの光永先輩の大太鼓音は太鼓の胴と鼓面を伝わって耳に入る。呼応している中太鼓を抵抗なく裏打ちしている自分のリズムに乗せ込むような気持を込めてバチを一振り一振り打ち下ろす。

 

 楽譜に書き込まれた表打ちの音符と裏打ちの音符。表打ちの光永先輩のリズムと自分リズムのやり取り。二つの中太鼓の音が小さくなって乗り移るか?、表打ちのリズムのまま打ち続けるか?と選択に迷いが生じた間隙を狙って小川清の大太鼓の裏打ちの音が強くなって、畳みかけるようにリズムも変化させた。

 

 小川清は一瞬だが大太鼓の表打ちとの駆け引き、二つの中太鼓が躊躇する音の響き、乗り移って呼応した瞬間の快感を感じ、一気に楽譜の音符に合わせて打ち続けた。

 自分の裏打ちの音に合わせて中太鼓が連動してゆく。

 突然、空に稲妻が走った。空も北の方角に黒雲が現れた。がすぐに消えてもとの明るさもどっていった。

 自分が主役だった。自分に合わせて全てが動いている感覚。

自分の連打音が二つの中太鼓が乗り移って呼応する快感が続く。

 小川清は裏打ちの音符に合わせて打ち続けた。一打ごとに遠ざかる表打ちの音。

 

 再び空に稲妻が走った。空も北の方角に黒雲が現れた。やがて明るさもどっていったが以前のような抜けるような明るさはなかった。

 

 自分の裏打ちの音に合わせて中太鼓がさらに2台加わり4台が連動してゆく。

 そのなかの1台の中太鼓のリズムが連動から外れ、これを契機に4台がそれぞれのリズムで打ち始める。

 四台の乱打。

 やがて乱打音も消え、裏打ちの自分の大太鼓の音。

 

 小川は一人打ちの孤独感が襲ってくるようだった。

 

 小川清が太いバチを持った両手を下げた。

 今まで耳元で鳴り響いていた和太鼓すべての音が消えていた。

 幻の中で一人打ち込んでいた自分を今、発見したようだった。

 

 入口のガラスドアが開いて副部長の横山優斗が拍手しながら入ってきた。

 小川清は「横山先輩、お願いなんですけど2部のリーダーの役を変わって頂けませんか。1部を演奏してみてこんなに疲れるものとは思ってもみませんでした」

 話しながらも全身からエネルギーが脱力してゆくのを感じて小川清が口にした。

 

続 <毎週土曜日掲載予定>